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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
見えない力の後押し―ジャスティンミラノがレコードで「皐月賞」制覇
4月14日、G1「皐月賞」が行われ、
戸崎圭太騎手が騎乗したジャスティンミラノが勝利しました。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「皐月賞・G1」(14日、中山)

2番人気のジャスティンミラノ(牡3歳、栗東・友道)が豪快に伸びて差し切りを決め、
1分57秒1(良)のレコードでG1初制覇を飾った。
2着は7番人気のコスモキュランダ、
3着は3番人気のジャンタルマンタルだった。

勝ったジャスティンミラノは、
10日に落馬事故で亡くなった藤岡康太騎手が
1週前追い切りまで調教をつけていた馬だった。
戸崎圭は
「康太が後押ししてくれました。
康太も喜んでくれていると思う。
康太、ありがとう。
お疲れさまでしたと伝えたい」と目を潤ませ、
涙をこらえながら、声を絞り出した。

鞍上は18年エポカドーロ以来となる皐月賞2勝目。
「きょうもパワーアップしていた。
ダービーに向けて、さらにいい状態になってくると思う。
いい騎乗ができたら」と、競馬の祭典に向けて改めて気を引き締めていた。



まるで見えざる力に後押しされたような、
素晴らしい走りでの勝利となりました。

戸崎騎手がコメントしたように、
きっと藤岡康太騎手も天国で喜んでいることでしょう。



週刊Gallop(ギャロップ) 2024年4月14日号 (2024-04-09) [雑誌]

週刊Gallop(ギャロップ) 2024年4月7日号 (2024-04-02) [雑誌]
あまりにも悲しいー藤岡康太騎手が死去
4月6日のレースで落馬し治療していた藤岡康太騎手が死去されました。

35歳でした。


このことに関する記事が『スポニチ』に掲載されていたので以下で紹介します。

JRAは11日、藤岡康太(ふじおか・こうた)騎手が死去したと発表した。
35歳。
6日の阪神7Rで落馬し、頭部と胸部を負傷。
落馬後は意識不明の状態が続き、入院加療していた。
JRA騎手がレース中の事故で死亡したのは04年の竹本貴志騎手以来、20人目。
G1勝利騎手では93年の岡潤一郎騎手以来となる。

祈りは通じなかった。
藤岡康騎手は6日の阪神7R、4角で騎乗馬が前の馬に触れてつまずき、落馬。
後続の馬と接触する形となり、頭部と胸部を負傷。
担架に乗せられて病院へ搬送されていた。
落馬から4日後の10日朝、兄の佑介が栗東トレセンで
「ファンの方もたくさん心配されている方がいらっしゃると思うので、
何とか帰ってこられるように願ってあげてほしいと思います」と
コメントしていたが、その日の午後7時49分に帰らぬ人となった。

父は健一調教師、兄が佑介騎手という競馬一家。
07年3月、栗東・宮徹厩舎からデビュー。
ルーキーイヤーはJRAで24勝を挙げ、
中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞。
09年ファルコンSで重賞初制覇、
同年のNHKマイルCで10番人気のジョーカプチーノでG1初制覇を飾った。

その人柄から関係者の信頼も厚く誰からも愛されるジョッキーだった。
ももいろクローバーZのファンであり調教中に着用していた、
ももクロカラーのド派手なジャンパーがトレードマーク。
名門・友道厩舎の調教を手伝い、有力馬の追い切りを任されていた。
18年神戸新聞杯でコンビを組んだダービー馬ワグネリアンは
落馬負傷していた福永の代打に指名され見事1着。
21年京都大賞典では
当時8歳のダービー馬マカヒキを約5年ぶりとなる復活Vに導いた。

昨年は自身最多となるJRA年間63勝を挙げ、
マイルCSでは
当日に急きょ乗り替わりで騎乗したナミュールを勝利にエスコート。
今年も28勝を挙げ、リーディングトップ10にランクインし、
先月30日には史上58人目となるJRA通算800勝を達成していた。
「本当に数多くの騎乗依頼を頂いた上で、
いろいろな関係者の、
いろいろな思いに支えられて達成できた数字だと思っています」と感謝。
「もっともっとうまくなりたい」と語っていたが、
志半ばで天国に旅立つことになった。



あまりにも悲しいニュースでした。

35歳、若すぎます。

亡くすにはあまりに惜しい人物でした。

今はただ安らかに。合掌。



週刊Gallop(ギャロップ) 2024年4月14日号 (2024-04-09)

週刊Gallop(ギャロップ) 2024年4月7日号 (2024-04-02)
雷神を背にーステレンボッシュが「桜花賞」を快勝
4月7日、G1「桜花賞」が行われ、
モレイラ騎手騎乗のステレンボッシュが勝利しました。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「桜花賞・G1」(7日、阪神)

2番人気のステレンボッシュが牝馬クラシックの1冠目を制した。
2着は1番人気のアスコリピチェーノ、
3着に7番人気のライトバックが入り、
4着は6番人気のスウィープフィート、
5着は9番人気のエトヴプレだった。
5着までがオークス(5月19日・東京)への優先出走権を獲得した。

淡々としたレース展開。
直線に入ると、
ステレンボッシュは中団から馬場の真ん中付近を突き抜け、
追いすがる2歳女王のアスコリピチェーノ、
ライトバックを振り切ってゴールを駆け抜けた。

勝利に導いたモレイラは
「そこまでスタートは速くなかったが、
満足なポジションから道中もいいリズムで乗っていて、
直線に入っても手応えがよく、
非常に素晴らしい脚を見せてくれた。
先頭に立ってもさらに余裕あって素晴らしい勝ち方を見せてくれた。
素晴らしい馬です」と笑顔。
2冠目となるオークスに向けては
「道中もリラックスしてくれていたし、
距離が延びても問題ないと思います。
これからも楽しみ。ポテンシャルは高いです」と太鼓判を押した。



「雷神」の異名があるモレイラ騎手を背に、
ステレンボッシュは見事な走りを見せてくれましたね。

「桜花賞」は牝馬三冠の一冠目ですが、
残り二冠も期待が持てる走りだったと言えます。



週刊Gallop(ギャロップ) 2024年4月7日号 (2024-04-02)

週刊Gallop(ギャロップ)2024年3月31日号
史上初の記録のおまけつき―マッドクールが「高松宮記念」を制覇
3月24日、G1「高松宮記念」が行われ、坂井瑠星騎手騎乗のマッドクールが勝利しました。

マッドクールにとってはこれがG1初制覇で、
馬主であるサンデーレーシングにとっては
この勝利で史上初となる障害を含むJRA・GⅠ26レース完全制覇を果たしました。


このことに関する記事が『サンケイスポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

3月24日の中京11Rで行われた第54回高松宮記念
(4歳以上オープン、GI、芝1200メートル、
定量、18頭立て、1着賞金=1億7000万円)は、
坂井瑠星騎手の6番人気マッドクール(牡5歳、栗東・池添学厩舎)が
好位のインをロスなく追走すると、直線で馬場の内から力強く抜け出し、
ナムラクレア(2番人気)の猛追をアタマ差振り切ってゴール。
3度目のGⅠ挑戦で重賞初勝利を決め、春のスプリント王に輝いた。
馬主のサンデーレーシングは
史上初となる障害を含むJRA・GⅠ26レース完全制覇。
タイムは1分8秒9(重)。

2着からさらに3馬身遅れた3着に香港馬ビクターザウィナー(5番人気)が入り、
1番人気のルガルは10着に敗れた。

高松宮記念を勝ったマッドクールは、
父Dark Angel、母Mad About You、母の父Indian Ridgeという血統。
愛・Moyglare Stud Farm Ltdの生産馬で、
馬主は(有)サンデーレーシング。
通算成績は12戦6勝(うち海外1戦0勝)。
重賞は初勝利。
池添学調教師、坂井瑠星騎手ともに高松宮記念は初勝利。



史上初の記録を達成したサンデーレーシングは本当に凄いです。

サンデーレーシングが
これまで日本の競馬界をリードしてきたことは間違いありません。

追撃する存在は多くいるわけですが、
それでも今後もサンデーレーシングが
日本競馬界を引っ張り続けていくことは間違いないでしょう。



週刊Gallop(ギャロップ) 2024年3月24日号 (2024-03-19) [雑誌]

週刊Gallop(ギャロップ) 2024年3月17日号 (2024-03-12) [雑誌]
さよなら武士沢―武士沢友治騎手が引退
3月10日、武士沢友治騎手が引退しました。

4月からJRA競馬学校教官に転身するそうです。


このことに関する記事が『サンケイスポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

4月からJRA競馬学校教官に転身する
武士沢友治騎手(46)=美・小手川=が
10日の中山競馬で最後の騎乗を終えた。
12Rのキーチズカンパニーは10着。
有終の美は飾れなかったが、
直線で懸命に追う勝負師の姿にスタンドから大きな声援と拍手が送られた。
引退セレモニーでは同期の勝浦騎手や村田調教師から花束が贈呈され、
騎手仲間からの胴上げで3回宙を舞った。
さらに学校で使用する教官帽と教官服を着用してファンの声援に応えた。

「中山でデビューして中山で引退するのが感慨深いです。
27年も騎手をやれて、
師匠の中野渡先生や、厩舎の方々、
迷惑をかけた家族、ファンの方々の応援があったことに感謝しています。
騎手から教官に立場は変わりますが、
馬を扱い、競馬に携わることは同じなので、
今までと違う視点から見られるのが楽しみです」と
武士沢騎手は次のステージを見据えていた。



武士沢騎手は人気馬というよりは不人気馬に乗る機会が多い騎手でした。

単勝最低人気馬に乗ることが多く、
デビュー以来最低人気馬に乗った回数が
1986年以降最多の1500回を超えていました。

そういった中で長年にわたって活躍を続けたということは、
やはり技術的に優れていた騎手だったということですね。

これからその技術を後進に伝えて欲しいと思います。



週刊Gallop(ギャロップ) 2024年3月10日号 (2024-03-05) [雑誌]

週刊Gallop(ギャロップ) 2024年3月3日号 (2024-02-27) [雑誌]