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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
瀬戸内寂聴(1922年~2021年)の名言
「どんなに好きでも最後は別れるんです。
どちらかが先に死にます。
人に逢うということは必ず別れるということです。
別れるために逢うんです。
だから逢った人が大切なのです。」



これは瀬戸内寂聴の名言です。

瀬戸内寂聴さんは小説家であり尼僧としても活躍された人物です。

瀬戸内寂聴さんが亡くなったというニュースが、
先日、TVニュースや新聞で大きく取り上げられました。

寂聴さんは多くの人に大きな影響与えた女性でした。

私が尊敬する鷲田小彌太先生が昔、
寂聴さんと会った時の話をしてくれたことがあります。

寂聴さんが持つ雰囲気に気圧されたという趣旨の話でしたが、
それは人生の酸いも甘いも噛み分けた寂聴さんだからこそ
持ち得た雰囲気であったと言えるのではないでしょうか。

そんな寂聴さんは、
人間関係や愛、人生などに関する多くの名言を残しています。

今回取り上げた名言は人間関係に関するものですが、
人間とは人の間と書くように、人と人との間、
つまり人間関係の中にこそ生きることの出来る生物であります。

だからこそ今回の名言は、
人間の根幹を表すような言葉であり、
忘れてはいけない言葉だと言えるのです。






デッドマール・クラマー(1925年~2015年)の名言
「選手一人一人の個性を知らずして、
どうして良い指導ができるんだ。
コーチは、常に選手と共にあるべきだ。」



これはデッドマール・クラマーの名言です。

皆さんはデッドマール・クラマーをご存じでしょうか。

サッカーに詳しい方であれば知っている方も多いでしょうが、
そうでなければ知らないという方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

デッドマール・クラマーは「日本サッカーの父」と称される人物で、
今日の日本サッカーの発展は
彼の尽力に拠るところが大きいとされています。

彼は日本サッカー界初の外国人コーチであり、
1964年の東京オリンピックを控えた1960年に招かれました。

その当時の日本サッカー界は今とは比べられないくらい酷い状況で、
そこに対して彼は基礎の部分から選手を指導していきました。

西ドイツのユース代表監督を務めたほどの人物ですから、
正確なパス、トラップなどの方法から、
インステップキックはどう蹴る、インサイドキックはどう蹴るなど、
今でいえば小学生や中学生に教えるような基礎から指導していくことに
普通であれば抵抗を感じてもおかしくはなかったはずです。

しかし彼はそれを確実に着実に積み上げていったのです。

そうした積み上げの結果、
日本代表は東京オリンピックでベスト8に進出を果たしました。

そして次のメキシコオリンピックでは銅メダルを獲得したのです。
(クラマーは1964年に任期満了でコーチを離れていた。)

招かれた当時のことを考えれば、
まさに奇跡の結果であったと言えるでしょう。

しかしそれは起こるべくして起きた奇跡でした。

彼が選手一人一人の個性を理解し、常に選手と共にあったからこそ、
この奇跡は起きたと言えるのです。






星野仙一(1947年~2018年)の名言
「勇気を奮い立たせて、毎日闘っていく。
弱みは絶対、見せちゃいかん。
選手はいつも背中を見てますから。
丸まった背中になったら駄目なんです。」



これは星野仙一の名言です。

星野仙一といえば日本野球界を代表する名監督です。

「勝ちたいんや」という言葉に代表されるように、
「星野仙一=熱血監督」というイメージを持っている人は多いでしょう。

そのイメージは間違いありません。

自分はいまだに、
彼が『news zero』のコメンテーターをしていた時に、
いじめ問題について話していたことが忘れられません。

その当時、いじめによる自殺の問題が社会問題化しており、
ニュース番組でも多くの時間が割かれていました。

いじめについて彼は、
自分自身が子供のころはガキ大将だったと語り、
ガキ大将だから弱い者をいじめるのではなく
逆に弱い者いじめするやつをやっつけていた、と話していました。

自分はこれを聞いて、おかしな表現ですが、
星野仙一は子供のころから星野仙一だったのだと思わされました。

先頭に立つ人間のあるべき姿、
あるべき姿勢が彼の中に備わっていたのだと思います。

そして彼は名言にあるように、
自身の中にある闘志を燃やしながら、
部下たちに強い姿や戦う姿を見せ、周囲を鼓舞し続けました。

まさしく名将であり、歴史に残る熱血監督だったわけです。






平尾誠二(1963年~2016年)の名言
「出来ない理由を考えたら、
理由は山ほど出てきますから、
「やろうと思ったらやる」という事しか考えませんね。
あとは本気になるかどうかです。」



これは平尾誠二の名言です。

平尾誠二といえば、
「ミスター・ラグビー」と呼ばれた日本を代表するラグビー選手です。

現役を退いた後、
日本代表監督、
神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなど
様々な役職を歴任しました。

2019年、日本でラグビーワールドカップが開催され、
日本代表の躍進もあり、
日本に空前のラグビーブームが巻き起こりました。

それ以前、日本でラグビーが注目されたことは何度かありました。

その注目された場面の中心にはいつも平尾誠二がいたのです。

彼の凄さはその強烈なまでのキャプテンシーにあったと言えます。

彼は高校、大学、社会人のそれぞれで日本一になっているのですが、
そのどれもで主将またはチームの中心として活躍しました。

まさしくチームを引っ張っていったのです。

その当時、日本のラグビー界は世界の舞台では勝てず、
後の2019年の大躍進が嘘のように負け続けていました。

そういった中で
日本代表に初めてワールドカップでの勝利がもたらされたのは
第2回大会のジンバブエ戦であり、
この勝利の原動力となったのが平尾誠二でした。

今回紹介した名言に表されるように、
彼は「やろうと思ったらやる」ということを貫き通します。

その考えをチームメイトや関係者も含めたチーム全体に広げることで、
チームを良い方向に導いていったのです。

まさしくプレイヤーとしても指導者としても一流の人だったと言えます。






フローレンス・ナイチンゲール(1820年~1910年)の名言
「天使とは、
美しい花をまき散らす者ではなく、
苦悩する者のために戦う者である。」



これはフローレンス・ナイチンゲールの名言です。

フローレンス・ナイチンゲールといえば
「近代看護教育の母」として知られています。

今日の看護教育に繋がる基礎を築き、
彼女の誕生日である5月12日は国際看護師の日となっています。

彼女は裕福な家庭に生まれ、様々な教育を受けます。

つまりは何ひとつ不自由のない生活をしていたのですね。

そのような生活の中で彼女は、
慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにして、
人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになります。

その後、彼女は看護師(当時は看護婦と呼ばれた)を志します。

しかしその当時の看護師は病人を世話する召使という扱いであり、
現在の看護師像とは大きくかけ離れたものでした。

その状況を変えたのがナイチンゲールだったわけですが、
そのキッカケとなったのがクリミア戦争での彼女の活躍でした。

彼女は献身的に兵士たちを看護し、
さらには病院の衛生状況を改善することで、
多くの兵士たちの命を救いました。

その働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれたのです。

このことが有名となり彼女の発言力が増したことで、
様々な医療改革に関わることとなりました。

彼女は人々の命を救うため、看護師として生涯戦い続けたわけです。

まさに彼女こそが「苦悩する者のために戦う者」だったのです。