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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年~1827年)の名言
「人間はまじめに生きている限り、
必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。
しかし、それを自分の運命として受け止め、
辛抱強く我慢し、
さらに積極的に力強くその運命と戦えば、
いつかは必ず勝利するものである。」



これはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名言です。

ベートーヴェンといえば、
音楽史上、最も偉大な作曲家とも評されるドイツの作曲家です。

1770年にドイツで生まれたベートーヴェンは、
若い頃に不遇の時を過ごしました。

虐待とも思えるようなスパルタの音楽指導を受け、
16歳の頃にウィーンに渡るものの、母の病もあり夢半ばで帰郷します。

21歳の時に有名な作曲家であるハイドンにその才能を見いだされ、
再びウィーンに渡り、ピアノの即興演奏の名手として名声を得ます。

しかし再び彼を悲劇が襲いました。

20代後半から持病の難聴が徐々に悪化、26歳で中途失聴者となるのです。

彼はこの時、自殺さえ考えたそうですが、思いとどまり、
その後に歴史に残るような曲を数多く生み出したのです。

今回の名言はまさに彼の人生そのものを写し出したような一言であります。

音楽家として死んだも同然の状態に陥りながら、
死を思いとどまり、自分に降りかかった苦難と戦い、
その後に勝利を掴み取ったのです。

このような大変な苦難に直面する人はそんなに多くはないでしょう。

しかしながらどんな人でも辛い時や苦しい時はあるはずです。

そんな時に、それに耐え、その苦難と戦った時に勝利の光は見えるのです。






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デール・カーネギー(1888年~1955年)の名言
「もし自分が間違っていたと
素直に認める勇気があるなら、
災いを転じて福となすことができる。
過ちを認めれば、
周囲の者がこちらを見直すだけでなく、
自分自身を見直すようになるからだ。」



これはデール・カーネギーの名言です。

デール・カーネギーといえば、
『人を動かす』、『道は開ける』などの自己啓発書を著したことで知られています。

『人を動かす』はビジネスコミュニケーションのスキルに関する著作です。

他人が自分の為に気持ちよく動いてくれるには
どのような発言をすれば良いかということを実例に基づいて書いているのですが、
その基礎となっているのが「自分を知り、相手を知る」という事です。

自分という存在が分かっていなければ相手を理解することは出来ないですし、
相手を分かっていなければ自分がどう行動すべきかということは分からないのです。

つまりは、
自分を知った上で他人と付き合い、
他人を知った上で自分が行動すべきだということです。

とにもかくにも、自分の長所と自分の短所を理解しておくことが大切なわけです。

それを頭に入れた上でこの名言を見てみると、
自分を理解し自分の非を認めるという事が
他人から評価されるために必要だと説かれています。

自分自身を見直すことは、
他人との人間関係を良くするために必要なことなのです。

皆さんも、今の自分自身を見直す時間を設けてみたらいいのではないでしょうか。






豊臣秀吉(1537年~1598年)の名言
「負けると思えば負ける、
勝つと思えば勝つ。
逆になろうと、
人には勝つと言い聞かすべし。」



これは豊臣秀吉の名言です。

豊臣秀吉といえば戦国時代を代表する武将であります。

仕官した織田信長の死後に天下統一を果たしました。

これは有名な話ですが、秀吉は足軽の子でした。

そこから天下統一を果たしたわけです。

まさしく成り上がりだと言えます。

じゃあなぜそのような途方もない成り上がりを果たせたのかといえば、
彼が非常に頭の利く人間だったという事があるでしょう。

彼が仕官した信長は人を見抜く才能がありました。

その人に仕えることが出来たという幸運はあったわけですが、
その信長の下で忠誠を誓い、
自らの命を投げ打つかのような動きを秀吉は見せます。

それを信長は見ているのです。

逆を言えば、
彼はそれを分かった上で信長に見せるように行動したわけです。

したたかです。

しかしながらそのしたたかさ、頭の利きっぷりがあったからこそ、
彼は信長の下で重用され、
最後には天下統一を果たすことが出来たのです。

もちろん天下統一を果たすためには、
家臣としての能力だけでなく、武将としての能力が必要となりました。

その能力にも秀でていたことがこの名言に表されています。

味方さえも騙すことで、
周りをその気にさせ、自軍を勝ちに導いていくわけです。

やはりしたたかです。

この名言から彼のしたたかさを学ぶことが出来れば、
我々は自らの位置を今よりも高めることが出来ると思います。






村野藤吾(1891年~1984年)の名言
「時流に乗るな、多数派に巻き込まれたら
脱皮して必ず少数派になれ。」



これは村野藤吾の名言です。

村野藤吾といえば日本を代表する建築家として知られています。

彼が設計した主要な建築作品は以下の通りです。

そごう大阪店
広島世界平和記念聖堂
志摩観光ホテル
高島屋東京店
横浜市庁舎
佳水園
梅田換気塔
新高輪プリンスホテル

これらの村野藤吾の建築作品を見たことのある人なら分かるはずですが、
同じスタイルで建てられた作品は一つとしてないのです。

一見すれば彼の作品であるとはわかりません。

しかしながらその作品には、
「99%関係者の話を聞き、残りの1%から出発する。
それでも村野は残る」という言葉が残されているように、
斬新さと新鮮さに村野藤吾らしさが存在しています。

ではなぜ同じスタイルを繰り返さないのかと言えば、
多数派に巻き込まれず少数派であり続けるためだと言えるのです。

建築当時にいくら斬新で新鮮であったデザインでも、
それが多数派になればそれは新鮮なデザインではなくなります。

じゃあ次に向かうべきは少数派であり、
それまでの自分や現在の自分を脱皮していくことが斬新さ新鮮さを保つ原動力なのです。

それまでの自分を捨てること、現在の自分を捨てることは簡単ではありません。

しかしそれが出来てこそ、
新しい世界が広がり、新しい考えが生まれてくるのだとこの名言は教えてくれています。





ベーブ・ルース(1895年~1948年)の名言
「俺は思いっきり振る。
渾身の力を込めてな。
でっかく当たるか、でっかく外すかのどっちかだ。
俺はできる限りでっかく生きたいんだ。」



これはベーブ・ルースの名言です。

ベーブ・ルースといえば、「野球の神様」と称される野球界のレジェンドです。

日本では投手と野手をどちらもこなす「二刀流」の選手といえば今や大谷翔平選手ですが、
ベーブ・ルースは大谷選手と同じく投手と野手のどちらもこなす、
まさに元祖「二刀流」の選手でした。

そんな野球をするために生まれてきたともいうべき彼が野球を始めたのは、
「セント・メアリー少年工業学校」という全寮制の矯正学校兼孤児院に送られたことがキッカケでした。

彼はもともと札付きの悪ともいうべき不良でした。

そんな彼のことを手に負えなくなった両親は彼を「セント・メアリー少年工業学校」に送りました。

そこで彼はブラザー・マシアス・バウトラーという神父と出会い、そして野球を教わるのです。

そして彼の人生は180度変わりました。

野球で頭角を現した彼は現在のマイナーリーグのチームと契約し、
その後、レッドソックスに移籍しメジャーリーグデビューを果たします。

そしてそこで彼は大活躍を見せ、
大人気球団であったニューヨーク・ヤンキースへ金銭トレードで移籍します。

それまでの活躍以上の成績を残すことは難しいのではないかという周囲の声もありましたが、
移籍後すぐのシーズンで打率.376、54本塁打というとんでもない成績を残します。

これは本塁打ランキング2位の打者を約3倍の差で突き放す圧倒的な本塁打数でした。

この圧倒的なスケールの記録を達成できたのは、
名言にある通り彼ができる限りでっかく生きようとしたからでしょう。

これは野球に限った話ではありません。

でっかく生きる、自分のできる最大限を見せるという事が、
様々な場面で活躍するために必要になってくるわけです。