FC2ブログ
cloudy
自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
星野仙一(1947年~2018年)の名言
「勇気を奮い立たせて、毎日闘っていく。
弱みは絶対、見せちゃいかん。
選手はいつも背中を見てますから。
丸まった背中になったら駄目なんです。」



これは星野仙一の名言です。

星野仙一といえば日本野球界を代表する名監督です。

「勝ちたいんや」という言葉に代表されるように、
「星野仙一=熱血監督」というイメージを持っている人は多いでしょう。

そのイメージは間違いありません。

自分はいまだに、
彼が『news zero』のコメンテーターをしていた時に、
いじめ問題について話していたことが忘れられません。

その当時、いじめによる自殺の問題が社会問題化しており、
ニュース番組でも多くの時間が割かれていました。

いじめについて彼は、
自分自身が子供のころはガキ大将だったと語り、
ガキ大将だから弱い者をいじめるのではなく
逆に弱い者いじめするやつをやっつけていた、と話していました。

自分はこれを聞いて、おかしな表現ですが、
星野仙一は子供のころから星野仙一だったのだと思わされました。

先頭に立つ人間のあるべき姿、
あるべき姿勢が彼の中に備わっていたのだと思います。

そして彼は名言にあるように、
自身の中にある闘志を燃やしながら、
部下たちに強い姿や戦う姿を見せ、周囲を鼓舞し続けました。

まさしく名将であり、歴史に残る熱血監督だったわけです。






スポンサーサイト



平尾誠二(1963年~2016年)の名言
「出来ない理由を考えたら、
理由は山ほど出てきますから、
「やろうと思ったらやる」という事しか考えませんね。
あとは本気になるかどうかです。」



これは平尾誠二の名言です。

平尾誠二といえば、
「ミスター・ラグビー」と呼ばれた日本を代表するラグビー選手です。

現役を退いた後、
日本代表監督、
神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなど
様々な役職を歴任しました。

2019年、日本でラグビーワールドカップが開催され、
日本代表の躍進もあり、
日本に空前のラグビーブームが巻き起こりました。

それ以前、日本でラグビーが注目されたことは何度かありました。

その注目された場面の中心にはいつも平尾誠二がいたのです。

彼の凄さはその強烈なまでのキャプテンシーにあったと言えます。

彼は高校、大学、社会人のそれぞれで日本一になっているのですが、
そのどれもで主将またはチームの中心として活躍しました。

まさしくチームを引っ張っていったのです。

その当時、日本のラグビー界は世界の舞台では勝てず、
後の2019年の大躍進が嘘のように負け続けていました。

そういった中で
日本代表に初めてワールドカップでの勝利がもたらされたのは
第2回大会のジンバブエ戦であり、
この勝利の原動力となったのが平尾誠二でした。

今回紹介した名言に表されるように、
彼は「やろうと思ったらやる」ということを貫き通します。

その考えをチームメイトや関係者も含めたチーム全体に広げることで、
チームを良い方向に導いていったのです。

まさしくプレイヤーとしても指導者としても一流の人だったと言えます。






フローレンス・ナイチンゲール(1820年~1910年)の名言
「天使とは、
美しい花をまき散らす者ではなく、
苦悩する者のために戦う者である。」



これはフローレンス・ナイチンゲールの名言です。

フローレンス・ナイチンゲールといえば
「近代看護教育の母」として知られています。

今日の看護教育に繋がる基礎を築き、
彼女の誕生日である5月12日は国際看護師の日となっています。

彼女は裕福な家庭に生まれ、様々な教育を受けます。

つまりは何ひとつ不自由のない生活をしていたのですね。

そのような生活の中で彼女は、
慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにして、
人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになります。

その後、彼女は看護師(当時は看護婦と呼ばれた)を志します。

しかしその当時の看護師は病人を世話する召使という扱いであり、
現在の看護師像とは大きくかけ離れたものでした。

その状況を変えたのがナイチンゲールだったわけですが、
そのキッカケとなったのがクリミア戦争での彼女の活躍でした。

彼女は献身的に兵士たちを看護し、
さらには病院の衛生状況を改善することで、
多くの兵士たちの命を救いました。

その働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれたのです。

このことが有名となり彼女の発言力が増したことで、
様々な医療改革に関わることとなりました。

彼女は人々の命を救うため、看護師として生涯戦い続けたわけです。

まさに彼女こそが「苦悩する者のために戦う者」だったのです。






ディエゴ・マラドーナ(1960年~2020年)の名言
「とにかくボールを預けてくれるだけでいい、
あとは俺がなんとかするから。」



これはディエゴ・マラドーナの名言です。

ディエゴ・マラドーナといえば、伝説的なサッカー選手であります。

ディエゴ・マラドーナはアルゼンチンのスラム街の出身です。

まさに逆境からスタートしたマラドーナの人生は、
サッカーとの出会いによって全く違ったものになります。

彼は幼少時から天才サッカー少年として脚光を浴び、
13歳の時にはサッカーに専念するために学校を辞め、
15歳の時には所属クラブからアパートがプレゼントされました。

まさに驚愕のサッカー人生であります。

そんな彼のサッカー人生のハイライトと呼べるのが、
1986年にメキシコで開催されたFIFAワールドカップです。

ここで彼は、
物議を醸した「神の手」ゴールと、
サッカー界の歴史に残る「5人抜き」ドリブルをしてみせました。

このどちらもがイングランド戦で行われたものですが、
この試合を機に彼は
サッカー史に名を残す選手となったのです。

この栄光の一方で、
彼は私生活の醜聞(スキャンダル)が絶えない選手でもありました。

この醜聞により幾度となく彼は身を滅ぼしそうになったわけですが、
この窮地を救ったのはやはりサッカーでした。

彼は自分のサッカーの実力に圧倒的な自信を持っていました。

その自信がこの名言には表れています。

こんな不遜とも思える言葉を言っても許され、
納得させられてしまうのが、ディエゴ・マラドーナという選手であり、
まさしく不世出の選手であったと言えるのです。






安藤百福(1910年~2007年)の名言
「発明はひらめきから。
ひらめきは執念から。
執念なきものに発明はない。
ひとつこころみては捨てていく。
考えて、考えて、考え抜け。
私が考え抜いた時には血尿が出る。
私は眠るときもメモと鉛筆を枕元に用意する。
あなたも四六時中考える習慣をつけなさい。」



これは安藤百福の名言です。

安藤百福といえば日清食品の創業者として知られています。

「チキンラーメン」と「カップヌードル」という
革新的な商品を開発し、大ヒット商品にしました。

そんな彼の生涯はまさに開発者精神に溢れたものでした。

20代で繊維会社を興して実業家として成功を収めていた彼は、
その地位に甘えることなく、食品事業に参入します。

そこで「ビセイクル」という栄養食品を開発し、
これは病院にも供給されました。

しかし彼は脱税による嫌疑をかけられ、
実業家としての地位を失うことになってしまいます。

釈放後、信用組合の理事長となりますが、ここでも不遇を受け、
背任罪に問われ、執行猶予つきの有罪判決を受けてしまいます。

そしてここで彼の開発者魂に火が付いたのです。

インスタントラーメンの開発に着手し、
苦労の末に「チキンラーメン」の開発に成功します。

そしてその後、「カップヌードル」の開発にも成功します。

まさに苦難や苦労の末に辿り着いた成功でした。

ではなぜこの成功を掴み取ることができたのかというと、
名言にもあるように、圧倒的な執念をもって考え抜いたからです。

開発者としてのあるべき姿を示し続けた生涯でした。