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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
フレデリック・フランソワ・ショパン(1810年~1849年)の名言
「ただ「完璧」というだけでは
人々は満足しないのです。
成功に必要なのは「絶対なる完璧」なのです。
だから極端にまで研究し尽くされたものは、
さらに評価されるのです。」



これはフレデリック・フランソワ・ショパンの名言です。

ショパンはポーランド出身のピアニストであり作曲家です。

「ピアノの詩人」とも呼ばれ、
さまざまな形式や美しい旋律など、
従来のピアノ奏法、曲にはなかったような革命を音楽界に起こしました。

『別れの曲』、
『別れのワルツ』、
『子犬のワルツ』、
『革命のエチュード』、
『幻想即興曲』、
『雨だれ』
『英雄ポロネーズ』、
『華麗なる大円舞曲』など有名な曲を残したわけですが、
これらの曲はいまだに多くのピアニストたちに愛され弾かれています。

そんなショパンですが39歳という年齢で亡くなっており、
大変に短い生涯の中でこれらの曲を残したわけです。

まさしく天才であり、同時に完璧主義者でもありました。

そのショパンの精神は今回取り上げた名言の中に見ることができます。

これだけの完璧を求めたからこそショパンは、
この短い生涯の中で大きな成果を残すことができたのでしょうね。






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石原慎太郎(1932年~2022年)の名言
「情熱的に生きるということが、
男らしく生きるということならば、
それは自分の自我を通し、
自分の個性的現実を貫き、
社会的現実に屈しないという生き方だと思う。」



これは石原慎太郎の名言です。

石原慎太郎さんは小説家であり政治家としても活躍された人物です。

石原さんは常に賛否両論の評価を受け続けてきました。

特に都知事時代はそうだったと言えます。

とんでもない発言をし、
とんでもない行動を起こし、
国を動かし国民を動かす都知事という印象がありました。

排ガス規制にしても、
尖閣諸島を買う発言にしても、
結果的にはそれまでの状況を一変させてしまいました。

じゃあなんで彼はそんなことをしたのかといえば、
名言にある通り、
情熱的に生きようとしたということになるんでしょう。

まさしくそれは
「自分の自我を通し、
自分の個性的現実を貫き、
社会的現実に屈しないという生き方」であったのです。

これは好き嫌いは別にして評価されるべき点だと思います。






瀬戸内寂聴(1922年~2021年)の名言
「どんなに好きでも最後は別れるんです。
どちらかが先に死にます。
人に逢うということは必ず別れるということです。
別れるために逢うんです。
だから逢った人が大切なのです。」



これは瀬戸内寂聴の名言です。

瀬戸内寂聴さんは小説家であり尼僧としても活躍された人物です。

瀬戸内寂聴さんが亡くなったというニュースが、
先日、TVニュースや新聞で大きく取り上げられました。

寂聴さんは多くの人に大きな影響与えた女性でした。

私が尊敬する鷲田小彌太先生が昔、
寂聴さんと会った時の話をしてくれたことがあります。

寂聴さんが持つ雰囲気に気圧されたという趣旨の話でしたが、
それは人生の酸いも甘いも噛み分けた寂聴さんだからこそ
持ち得た雰囲気であったと言えるのではないでしょうか。

そんな寂聴さんは、
人間関係や愛、人生などに関する多くの名言を残しています。

今回取り上げた名言は人間関係に関するものですが、
人間とは人の間と書くように、人と人との間、
つまり人間関係の中にこそ生きることの出来る生物であります。

だからこそ今回の名言は、
人間の根幹を表すような言葉であり、
忘れてはいけない言葉だと言えるのです。






デッドマール・クラマー(1925年~2015年)の名言
「選手一人一人の個性を知らずして、
どうして良い指導ができるんだ。
コーチは、常に選手と共にあるべきだ。」



これはデッドマール・クラマーの名言です。

皆さんはデッドマール・クラマーをご存じでしょうか。

サッカーに詳しい方であれば知っている方も多いでしょうが、
そうでなければ知らないという方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

デッドマール・クラマーは「日本サッカーの父」と称される人物で、
今日の日本サッカーの発展は
彼の尽力に拠るところが大きいとされています。

彼は日本サッカー界初の外国人コーチであり、
1964年の東京オリンピックを控えた1960年に招かれました。

その当時の日本サッカー界は今とは比べられないくらい酷い状況で、
そこに対して彼は基礎の部分から選手を指導していきました。

西ドイツのユース代表監督を務めたほどの人物ですから、
正確なパス、トラップなどの方法から、
インステップキックはどう蹴る、インサイドキックはどう蹴るなど、
今でいえば小学生や中学生に教えるような基礎から指導していくことに
普通であれば抵抗を感じてもおかしくはなかったはずです。

しかし彼はそれを確実に着実に積み上げていったのです。

そうした積み上げの結果、
日本代表は東京オリンピックでベスト8に進出を果たしました。

そして次のメキシコオリンピックでは銅メダルを獲得したのです。
(クラマーは1964年に任期満了でコーチを離れていた。)

招かれた当時のことを考えれば、
まさに奇跡の結果であったと言えるでしょう。

しかしそれは起こるべくして起きた奇跡でした。

彼が選手一人一人の個性を理解し、常に選手と共にあったからこそ、
この奇跡は起きたと言えるのです。






星野仙一(1947年~2018年)の名言
「勇気を奮い立たせて、毎日闘っていく。
弱みは絶対、見せちゃいかん。
選手はいつも背中を見てますから。
丸まった背中になったら駄目なんです。」



これは星野仙一の名言です。

星野仙一といえば日本野球界を代表する名監督です。

「勝ちたいんや」という言葉に代表されるように、
「星野仙一=熱血監督」というイメージを持っている人は多いでしょう。

そのイメージは間違いありません。

自分はいまだに、
彼が『news zero』のコメンテーターをしていた時に、
いじめ問題について話していたことが忘れられません。

その当時、いじめによる自殺の問題が社会問題化しており、
ニュース番組でも多くの時間が割かれていました。

いじめについて彼は、
自分自身が子供のころはガキ大将だったと語り、
ガキ大将だから弱い者をいじめるのではなく
逆に弱い者いじめするやつをやっつけていた、と話していました。

自分はこれを聞いて、おかしな表現ですが、
星野仙一は子供のころから星野仙一だったのだと思わされました。

先頭に立つ人間のあるべき姿、
あるべき姿勢が彼の中に備わっていたのだと思います。

そして彼は名言にあるように、
自身の中にある闘志を燃やしながら、
部下たちに強い姿や戦う姿を見せ、周囲を鼓舞し続けました。

まさしく名将であり、歴史に残る熱血監督だったわけです。