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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
藍ちゃんとのお別れ―宮里藍が現役生活にピリオド
9月17日、女子ゴルフの宮里藍選手が現役生活にピリオドを打ちました。

通算1オーバーの32位で現役最後のラウンドを終えました。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「「米女子ゴルフ・エビアン選手権・最終日」(17日、エビアン・リゾートGC=パー71)

現役最後の試合となる宮里藍(32)=サントリー=は27位からスタートし、
2バーディー、4ボギーの73で回り、通算1オーバーでホールアウト。
最後はパーパットで現役生活を締めくくり、笑顔を見せるとともに、瞳を潤ませる一幕もあった。

宮里の一問一答は以下の通り。

-現役最後の試合を終えての感想は。

「きょう1日のプレーを振り返ると、
ボギーが多い1日ではあったんですが、最後にいいパーを取れたので。
何とか気持ちを整えて最後まで回れたと思います」

-最後はプレーしながら、いろいろな思い出がよぎったか。

「自分のラウンドが精いっぱいで、そこまでは考えてなかったです。
でも、18番グリーンに向かっているときに、
グリーンの向こうに(仲の良い)ポーラ(・クリーマー)とかヤニ(・ツェン)が待っているのが見えたので。
『これ見ると泣いて、もうショットが打てないな』と思って。
感傷的にならないように最後まで頑張りたいという気持ちがあったので、
(2人の顔を)あまり見ないようにしてました(笑)」

-現役生活の思い出残る大会は。

「やはりエビアンのことが浮かんでくるというか…。
初優勝もそうですし、2011年に2勝目を挙げたときも、東日本大震災の直後だったので。
大会側も私と上田桃子ちゃんと宮里美香ちゃんとで設立していたチャリティーを
ヘルプしてくれたという思い入れもあって。
自分自身のLPGAのキャリアがこの試合から始まったので、
ここで終われることをすごくうれしく思っています」

-セカンドキャリアついては。

「正直、今は全く何も浮かばないですね。
あえてそこは決めないでいた方が、最後まで選手としてやるべきことをやれるかなと思っていたので。
あえて次のキャリアは考えていないんですけど。
でも、少し休んだ後に自分のやりたいことはいくらでも出てくると思うので。
それを整理しつつ、自分が必要とされていることを一つ一つやっていけたらいいなと思います」

-自分自身に言葉をかけるとしたら。

「プロになって14年間、毎週のようにプレッシャーの中で戦ってきたので、
まずは自分自身にも『お疲れさま』と言いたい。
でも人生はこれからの方が長いので、それに向けて頑張っていけたらなあと思っています」

-日本のファンに向けて。

「本来であれば、最後は日本の試合に出て終わりたいなというのはずっとあったんですけど。
家族のこともあって、こういう決断になってしまったんですが…。
日ごろからサポートしてくださるファンの人には感謝しています。
選手としてはこれでいったん終わりという形になりましたが、
皆さんのサポートなしにはやっていけませんでした。
14年間、沢山の声援、本当に本当にありがとうございました」」


宮里藍選手は女子プロゴルフ人気を牽引してきました。

「藍ちゃん」の愛称で多くの人々に親しまれました。

近年は海外挑戦をしたこともあり国内で話題になることは少なくなっていましたが、
それでも宮里藍選手の存在は特別なものがあったと言えます。

これからどのような道に進むのかはわかりませんが、新たな道でも頑張ってほしいと思います。




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新たなるフィギュア界のスター―本田真凜がシニアデビュー戦で優勝
9月16日、本田真凜選手がシニアデビュー戦である「USインターナショナル」で優勝しました。

2位以下に約15点差を付ける圧勝でした。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「「フィギュアスケート・USインターナショナル」(16日、ソルトレークシティー)

女子フリーが行われ、
ショートプログラム(SP)首位の本田真凜(16)=大阪・関大高=は
131・52点で合計198・42点をマーク。
2位以下に約15点差を付ける圧勝で、シニアデビュー戦を見事に優勝で飾った。

フリー「トゥーランドット」を大きなミスなく笑顔で演じ切った本田。
しかし会場は約1300メートルの高地。
薄い空気の影響か、演技後はふらつき、キス・アンド・クライまでたどり着けなかった。
最終滑走の長洲未来(米国)の演技が終わる頃にはなんとか自力で立ち上がった。

演技後に行われた表彰式には笑顔で出席。
その後取材に応じ、
「絶対に何があっても最後まで続けるって何回も自分に言い聞かせた。
後半は途中から覚えていなくて、最後がどんな感じか覚えていない」と振り返った。

リンクを降りると「真っ青だった」と浜田コーチ。
本田は「自分との戦いに勝てたんじゃないかなと思います」喜びを口にした一方
「標高が高い中でいまできることはできたと思うけど、
満足できるような演技じゃない」と厳しく話した。」


本田選手にかかる期待は相当なものです。

今回はその期待に見事に応えた形となりました。

こういった風に期待に応えていけるというのはスターの必須条件でもあります。

新たなるフィギュア界のスターの活躍に今後も期待していきましょう。




怪物の挑戦―日本ハム大谷、今オフに米大リーグへ挑戦
日本ハムファイターズの大谷翔平選手が今オフに大リーグ挑戦することが分かりました。


このことに関する記事が『毎日新聞』に掲載されていたので以下で紹介します。

「プロ野球日本ハムで「投打二刀流」でプレーする大谷翔平(23)が今オフに、
ポスティングシステムにより米大リーグへ挑戦する意思を固めたことが12日、分かった。
関係者は「彼の気持ちは固まっていると思う。意中の球団もあると思う」と話している。

大谷は昨オフの契約更改交渉の際に球団へ大リーグ挑戦の希望を伝え、球団側も容認した。
大谷はその時に
「僕が行きたいことは球団の方も知っている。
それが今日、自分の気持ちを優先させてもらえる形になった」と説明していた。

大谷は岩手・花巻東高3年だった2012年、米大リーグ挑戦の意思を示した。
しかし日本ハムが同年のドラフト会議で1位指名し、
当時は実現困難とされた二刀流挑戦の容認を含めて説得。
大谷が日本ハム入りを決断した経緯がある。

大谷は二刀流で成功し、昨季は日本一にも大きく貢献。
今季は左太もものけがなどで一時は2軍落ちも経験。
1軍復帰後は主に指名打者として出場しており、
投手としては12日に今季3回目の登板でようやく初勝利を挙げた。

大谷は今オフにはまだ海外フリーエージェント(FA)権を得られず、
米大リーグへの移籍にはポスティングシステムの利用が必要。
同システムの内容については米側が日本側に改正を要求しており、
現在、交渉が進められている。」


遂に発表されましたね。

今オフに大リーグ挑戦をすることは確実視されていましたが、
ケガで今シーズン思うような活躍が出来ていないこともあって、
最終的にどうなるのかは不透明な部分もありました。

しかし、やはりともいうべきか、大リーグ挑戦への思いは相当に強かったようです。

日本の怪物が大リーグの舞台で暴れ回る日は近いです。




横綱の低空飛行―日馬富士に土で、全勝は平幕6人のみの大波乱
大相撲秋場所は第3日目を迎え、
横綱でただ一人だけ本場所に出場している日馬富士が琴奨菊に敗れる波乱がありました。

これで全勝は平幕6人のみとなりました。


このことに関する記事が『サンケイスポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「大相撲秋場所3日目(12日、東京・両国国技館)
横綱としてただ一人出場している日馬富士(33)が平幕琴奨菊(33)に寄り切られ、土がついた。
かど番大関の2人は豪栄道(31)が関脇嘉風(35)をはたき込み2勝目、
照ノ富士(25)は平幕栃ノ心(29)を寄り切り、初白星を挙げた。
右太ももを痛めた大関高安(27)と右膝負傷の平幕宇良(25)はこの日から休場した。
全勝は初金星を挙げた琴奨菊、
大栄翔(23)、貴ノ岩(27)、貴景勝(21)、千代大龍(28)、阿武咲(21)の平幕6人となった。

3横綱が初日から休場するのは昭和以降初という異常事態で迎えた今場所。
まだ始まったばかりにもかかわらず、
初優勝が期待された高安と小兵の業師で人気のある宇良までも休場に追い込まれた。
出場した上位陣も序盤で土がつく波乱の展開の中、
日馬富士は立ち合いでふわっと立ち、そのまま琴奨菊に寄り切られた。
日馬富士は待ったをアピールしたが、取組は成立した。

3横綱1大関の休場は1999年春場所以来18年ぶり。
看板倒れの今場所は、混迷の様相を呈してきた。」


3横綱が休場するという波乱の幕開けを迎えた本場所ですが、
唯一出場している日馬富士に3日目にして早くも土がつくという波乱の展開となっています。

平幕の力士たちにとっては優勝へ千載一遇のチャンスでもあります。

最終的にどのような千秋楽を迎えるのか、今から楽しみです。




世界の一流へ―桐生祥秀9秒98、100mで日本人初の9秒台を記録
9月9日に行われた日本学生対校選手権の男子100メートルで、
桐生祥秀選手が9秒98をマークし優勝しました。

この9秒98という記録は、日本人初の9秒台で、
伊東浩司さんが98年に記録した10秒00の日本記録を19年ぶりに更新するものです。

アフリカ系の選手以外で9秒台を記録したことのある選手は数人しかいないそうで、
いかに今回の記録が優秀なものであるかが分かります。


このことに関する記事が『朝日新聞デジタル』に掲載されていたので以下で紹介します。

「4年前、京都・洛南高3年の桐生が10秒01をマークしてから、
期待が高まっていた9秒台がついに実現した。
国際陸上競技連盟のホームページによると、
世界歴代99位となる桐生の記録は、世界的に見てもごくまれなケースといえる。

1968年にジム・ハインズ(米)が電気計時で人類で初めて「10秒の壁」を破る9秒95を記録して以降、
公認の9秒台は世界で過去120人を超える。
ほとんどがアフリカにルーツをもつ選手で、
例外は2010年に20歳で9秒98、9秒97を出した「白人初」のクリストフ・ルメートル(仏)、
15年にアジア出身選手として初めて9秒台に突入する
9秒99を出した蘇炳添(中国)ら数人しかいないと言われる。

日本選手の最初の電気計時日本記録は、68年の飯島秀雄の10秒34だった。
30年近い年月をかけ、朝原宣治が97年に初の10秒0台となる10秒08をマーク。
翌年、伊東浩司が10秒00を出した。
その後、朝原は10秒02、
03年世界選手権200メートル3位の末続慎吾が10秒03で走ったが、9秒台に到達できなかった。

今年現役を引退したウサイン・ボルト(ジャマイカ)の世界記録9秒58にはまだ遠いが、
9秒台は、一流の証明であることに変わりはない。
五輪および2年に一度開催される世界選手権の男子100メートルにおいて、
準決勝で9秒台で走って決勝へ進めなかった選手は、過去に一人もいない。

日本選手が3年後の東京五輪で決勝に進めば、
五輪・世界選手権を通しても1932年ロサンゼルス五輪6位の吉岡隆徳以来、実に88年ぶりとなる。
桐生に次いで、山県亮太(セイコー)、サニブラウン・ハキーム(東京陸協)、多田修平(関西学院大)、
ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)ら10秒0台の有力選手が競い合う日本の男子短距離陣。
夢は大きく膨らむ。」


ついに出ましたね。

9秒台を出す可能性あるセンスが次々と現れ、
日本の男子短距離はかつてない盛り上がりを見せています。

そういった中で今回、桐生選手が一つ頭が抜けるように9秒台を記録したわけですが、
これだけでは終わらない雰囲気が今の日本の男子短距離界にはあります。

今後も期待しましょう。