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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
審判は絶対というけれど・・・―町田対名古屋で誤審が発生
8月16日に行われたJ2の町田対名古屋の試合の中で、
プレーに関与していない選手にレッドカードが出されるという誤審が発生しました。


このことに関する記事が『サッカーダイジェスト』に掲載されていたので以下で紹介します。

「挟み込んだのは、深津と奥山だったが…。

[J2リーグ28節]町田3-4名古屋/8月16日/町田
 
J2リーグ28節の町田対名古屋戦で、疑惑の判定が起きた。
 
3-3で迎えた89分、
クリアボールを拾った名古屋の青木が最終ラインに抜け出そうとすると、
町田の深津康太と奥山政幸が、たまらず挟み込んでファウルで止めた。

このプレーに対し、家本政明主審は即座にレッドカードを提示。
深津か奥山のどちらかが対象かと思いきや、
なんと退場処分になったのは、接触プレーに関与していない平戸太貴だった。
 
平戸は納得いかない表情を見せるも、判定は覆らず。
結局、この直後のFKをG・シャビエルに決められ、町田は3-4で敗れている。」


スポーツにおいて審判の判定は絶対だと言われます。

しかしながら審判も人間です。

ミスは絶対にあります。

とは言っても、そのミスはあっていいものではありません。

無くしていかなければならないものです。

ビデオ判定などはミスをなくすための一つの策ですが、
まだまだこういった場面では効果をなさないのが実態です。

より進んだビデオ判定の導入や推進が望まれます。




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難しき判断―山中慎介4回TKO負け、日本記録タイ13連続防衛ならず
8月15日、山中慎介選手が国内最多タイとなる13度目の防衛をかけた世界戦に臨み、
ルイス・ネリ選手に4回2分29秒でTKO負けを喫しました。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「「ボクシング・WBC世界バンタム級タイトルマッチ」(15日、島津アリーナ京都)

国内最多タイの13度目の防衛を目指した王者の山中慎介(34)=帝拳=は、
陣営のタオル投入による4回2分29秒TKOで、
同級1位のルイス・ネリ(22)=メキシコ=に敗れ、
5年9カ月に渡って守り続けた王座から陥落した。
元WBA世界ライトフライ級王者・具志堅用高氏(62)の持つ13連続防衛には届かなかった。

山中の王座陥落に、
帝拳ジムの本田明彦会長は「最悪のストップ」と試合後、怒りを隠しきれなかった。
怒りの矛先は陣営の棄権を示したタオル投入のタイミングに向けられた。
4回中盤、ネリの右フックでダメージを負った山中は懸命に左ストレートを打ち返すも、
嵐のような挑戦者の連打を断ち切れず、ロープを背負って防戦一方となった。
2分24秒、ダメージを心配した大和心トレーナーがタオルを投げた。
「(通常タオルを投げる時は)相談がある。こんなことは初めて」と本田会長。
「あいつはいいやつで優しいから。魔が差したかな」と、
二人三脚で山中のV12を導いた大和トレーナーについて語った。

過去、山中はダウンを喫しながらも逆転KOで仕留めた防衛戦が何度かある。
「展開は予想通り。2、3度倒れても結果KOで勝つという。コンディションは最高だった」。
具志堅氏の大記録にあと一歩届かずに終わり、本田会長は心底残念がった。」


このトレーナーの判断というのは実に難しいものがあります。

他ならぬトレーナーこそが、
選手の事を一番よく見て、そして体調を把握している一番の人物であることに違いないのです。

そういった事を総合的に考えると、もちろん残念であることは間違いありませんが、
今回の判断が一概にも間違いだったとは言えないのかなと思います。




歴史に名を残す―男子50キロ競歩、荒井が銀 小林が銅
陸上の世界選手権の第10日目、男子50キロ競歩が行われ、
荒井広宙選手が銀メダル、小林快選手が銅メダルを獲得しました。


このことに関する記事が『朝日新聞デジタル』に掲載されていたので以下で紹介します。

「男子50キロ競歩は史上初の複数メダル、出場3人ともが入賞と、
日本が世界で戦えることを証明した。
銀メダルの荒井は終盤まで競り合った小林、5位の丸尾を満面の笑みで、
フィニッシュラインで出迎えた。

リオ五輪金、銀の両メダリストが出場しなかった今大会。
この種目の日本勢最年長、29歳の荒井には、仲間をリードする余裕があった。
隣で歩く小林が歩型違反の警告を受けると「まだ一つだから冷静に」とささやいた。
給水では水を2本とって渡す場面もあった。

残り13キロ。
小林と一緒に集団を抜け出した。
そのとき、荒井にはまだ余裕があったが、小林の呼吸の乱れに気づき、
なんと自ら「ペースメーカー」を買って出た。
2人で確実にメダルをとる戦術をとり「メダルいけるぞ」と励まし続けた。

ここまで荒井が仲間思いなのは、日本競歩界を盛り上げたい一心だからだ。

今春、男子50キロ競歩廃止の可能性が一時浮上した。
存続が決まり胸をなで下ろしたが「もっと活躍しないといけない」と感じた。

競歩の現状を広く告知しようと、ツイッターのアカウントも開設。
7月に北海道であった合同合宿では、女子20キロ代表で今大会18位だった岡田に
「将来メダルをとるんだろ。女子競歩を引っ張れ、しっかりやれ!」と励ました。

ロンドンは5年前に五輪代表から漏れた、人生の分岐点だった。
夢だった舞台で、荒井はすっかり日本のエースになって、5年越しに躍動した。」


銀メダルと銅メダルをともに日本人が獲得したことは歴史に残る記録です。

記事にあるように、ベテランの力が今回のメダル獲得につながったことは明白です。

ベテランの力というのはいつまでもあるものではありませんが、
ベテランの力を受けた後輩たちがベテランとなり、
そして下の世代に経験を伝えていくことによって良い循環が生まれます。

その循環に競歩日本代表は入りつつあるのです。




勝負を懸けた決断―男子400リレー、日本代表は銅メダル獲得
8月12日、陸上の世界選手権の男子400メートルリレー決勝が行われ、
日本代表チームが38秒04で3位となり、世界選手権で初のメダルとなる銅メダルを獲得しました。


このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「「陸上・世界選手権」(12日、ロンドン競技場)

男子400メートルリレー決勝が行われ、
リオデジャネイロ五輪銀メダルの日本(多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、藤光謙司)は
38秒04で3位に入り、世界選手権では同種目初のメダルとなる銅メダルを獲得した。
アンカーを予選のケンブリッジ飛鳥から藤光に変更。
リオ五輪代表を外す苦渋の決断が、メダル獲得を呼んだ。

レースの6時間前、日本陸連の苅部俊二短距離コーチは、ある決断を下した。
午前に行われた予選は1組で米国、英国に大差を付けられた3位で、
38秒21のタイムは決勝進出8チームの中で6番目。
特に3走の桐生と4走のケンブリッジの間でバトンが詰まり、
本調子ではないケンブリッジの走りで一気に突き放された。

現地時間16時過ぎ、土江寛裕コーチに相談。
各トレーナー、そしてリレーメンバーとして招集していたベテランの藤光に状態を確認し、腹を決めた。
16時半から行われたチームミーティングで告げた。
「オーダーを変える」。ケンブリッジに代えて、藤光をアンカーに据えることを発表した。
苅部コーチは「いろいろな状況があっての判断。悩みましたね」と、振り返った。

告げられたケンブリッジは、気持ちの整理がつかない様子だったという。
土江コーチは
「『はい、分かりました』とはいかない。
メダリストでもあるし、納得はできないでしょう」と、本人の気持ちを思いやった。

ただ、リオ五輪の結果があった中で、大きな期待を背負っている種目。
「リオ五輪の時の状態なら確実にケンブリッジ。
それは実力的にも間違いない。
でもバトンを含めて、今回勝負を懸けるなら、藤光だった」(土江コーチ)。

ボルトがレース中に故障するというアクシデントがあったとはいえ、
抜群のバトンリレーで予選よりもしっかりとタイムを伸ばしたからそこ生まれたメダルという結果。
苅部コーチは
「決勝の常連国から、メダルの常連国になりたいという思いがあった。
その理想通りになりつつある」。
リオ五輪からの世界大会2大会連続となる表彰台。
厚さを増した選手層、そしてスタッフの冷静で的確な分析力、
“お家芸”としての底力を見せつけたメダル獲得劇だった。」


記事を読んで分かるように、
今回のメダル獲得は臨機応変さの勝利だと言うことが出来ます。

もちろん直前で代わった藤光選手が信頼の置ける選手だったからこそ、
この臨機応変な対応を取ることが出来たわけです。

確実に日本代表の選手の層は厚くなってきています。




36歳の正念場―松井大輔がポーランド2部へ移籍
元サッカー日本代表の松井大輔選手がポーランド2部のオドラオポーレへ加入しました。

36歳での海外再挑戦に注目が集まっています。


このことに関する記事が『日刊ゲンダイDIGITAL』に掲載されていたので以下で紹介します。

「2004年のフランス2部(当時)ル・マン移籍を皮切りに、
4カ国7クラブを渡り歩いた元日本代表MF松井大輔。
ここ3年半はジュビロ磐田でプレーしたが、36歳になった今夏、欧州再挑戦に踏み切った。
海外8クラブ目はポーランド2部オドラオポーレ。
3部から昇格したばかりの新勢力だ。

成田空港から新天地へと向かった松井を直撃した。

「(初海外の)ル・マンも2部からのスタート。
磐田に帰ってきた時もJ2だった。
今回もポーランド2部ですからね。
初心に戻れるかな、と。
今はワクワク感しかない」と松井は、実にすがすがしい表情でこう切り出した。

30代での大陸間移籍はメキシコ・パチューカの日本代表MF本田圭佑(31)と同じ。
10年南アフリカW杯で日本代表を16強に導いた盟友の決断は、自分自身と重なって映る。

「いかにも彼らしい。
サッカーを知ってる人なら分かるけど、
メキシコはもの凄くレベルが高いし、(選手の年俸など)お金もある。
高地でのプレーだし、欧州より厳しい環境かもしれない。
来年は圭佑がプレーしたロシアでW杯が開催される。
出場権を取るために(日本代表メンバーの)彼らには『死に物狂いで頑張って欲しい』と思います」

■「自分らしい人生を」

36歳でも自身のフィジカル的な問題はない。

「欧州では痛いところだらけだったけど、日本に戻ってもう一回、体(のコンディション)をつくれた。
36歳でオファーをくれるチームはなかなかないと思うし、
純粋にサッカーを楽しみたい」と前向きに話した。

磐田での3年半はシャムスカ、名波浩両監督の下でプレーしたが、
元日本代表MF中村俊輔(39)が加入した今季はわずか7試合の出場。
満足いく活躍とは言い切れなかった。

「このままでは終われない」という悔しさが、再渡欧の原動力になったはず。
それでも磐田への感謝は忘れない。
5日の広島戦後の退団セレモニーでは、珍しく涙ながらに挨拶したほどである。

「(同い年で付き合いの長い)コマ(元日本代表DF駒野友一=36=福岡)からも電話が来て
『泣いてたでしょ』と言われたけど、涙は流していませんよ。
ギリギリセーフでした(笑い)。
磐田では静かに生活できたし、キャプテンを任せてもらってベテラン選手の役割も学んだ。
人間的にも成長できた。
(中村)俊さんと一緒にプレーできたことで、
彼ならではの“監督目線”でのサッカーの見方、戦術眼も学べた。
磐田での経験を生かし、自分らしい人生を歩んでいきたい」と決意も新たに言い切った。

当面はローサ夫人と2人の息子と離れ、単身生活となるが、
「背中を押してくれた彼女たちのためにもしっかりやりたい」と話す松井。

年を重ねて人間的な深みと男らしさを漂わせていた。

ポーランドで鮮烈なインパクトを残せるか? 
04年アテネ五輪世代屈指のテクニシャンの成功を大いに期待したい。」


36歳での海外挑戦というのはあまり多い話ではありません。

キャリアの最後を日本で過ごし、
日本のファンに見送られながら現役生活に幕を閉じるという選手は少なくないのです。

しかし松井選手はそうではなく、
海外にいる自分こそが本当の自分だと確信し、そして再挑戦を決意したわけです。

非常にカッコいい決断だと言えます。

この決断が功を奏することを願っています。