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レジェンドの死―元オランダ代表ヨハン・クライフ氏が急死
サッカー元オランダ代表の伝説的な名選手、ヨハン・クライフ氏が24日、ガンのため死去しました。

68歳でした。


このことについて書かれた記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。

「オランダの巨星墜(お)つ。
1960~70年代にアヤックス、バルセロナなどで活躍した
元オランダ代表の伝説的な名選手、ヨハン・クライフ氏が24日、
スペイン・バルセロナでがんのため死去した。
68歳だった。
昨年10月に肺がんであることを公表していた。
84年に引退した後はアヤックス、バルセロナなどで監督を務めて一時代を築き、
選手、指導者としてサッカー界に影響を与えた。

“近代サッカーの申し子”と呼ばれたレジェンドが、この世を去った。
クライフ氏の公式サイトによると、
バルセロナで家族に見守られながら静かに息を引き取ったという。
現役時代からヘビースモーカーだったクライフ氏は、昨年10月に肺がんであることを公表。
先月13日に「闘病は前半を2―0で終えた。
まだ試合は終わっていないが、私は勝利するだろう」とコメントして順調な回復を強調していただけに、
急死のニュースに衝撃と悲しみが広がった。

サッカー界に“革命”を起こした。
60~70年代にアヤックスやオランダ代表で、
名将ミケルス監督の下で「トータル・フットボール」を実現。
攻守分業というそれまでの常識を覆す全員攻撃、全員守備の革命的な戦術の中心的存在だった。
アヤックスでは欧州チャンピオンズ杯(現欧州CL)3連覇、
オランダ代表では74年W杯西ドイツ(現ドイツ)大会で準優勝。
決勝では“皇帝”ベッケンバウアー擁する西ドイツに敗れたが“クライフの大会”と評された。
卓越した技術とスピードで「フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)」の異名を取り、
ボールを軸足の後ろに通すフェイントは「クライフ・ターン」と呼ばれた。
バロンドール(当時欧州最優秀選手賞)を3度獲得。
99年には国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)による「20世紀欧州最優秀選手」に選出された。

引退後は指導者としても成功。
バルセロナでリーグ4連覇を達成し、92年には初の欧州制覇に導いた。
同年のトヨタ杯で来日し、日本でも多くのファンから声援を受けた。
また育成年代からの一貫指導システムを構築し、
変幻自在のサッカーで現在まで続くバルセロナの栄光の土台を築いた。
美しいサッカーを追求し「美しく敗れることを恥と思うな、
ぶざまに勝つことを恥と思え」などの名言を残した。
クライフ氏の哲学は現代のサッカーに息づいている。」


自分はヨハン・クライフ氏の現役時代のことは知りません。

それでもヨハン・クライフという名前は知っているし、
彼が伝説的サッカー選手だということは知っています。

そういう方が多いんじゃないかと思います。

よく知らない人が名前を知っている、これってスターの条件です。

その点でヨハン・クライフは間違いなくサッカー界のスターでありレジェンドであります。




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