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巨匠が逝く―世界的シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが死去
5月5日、世界的シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが死去されました。

84歳でした。


このことについて書かれた記事が『MusicVoice』に掲載されていたので以下で紹介します。

「作曲家・シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが5月5日、
慢性心不全のため、都内の病院で亡くなった。
84歳だった。
冨田さんはシンセサイザーを導入した音楽の第一人者で知られ、
日本人で初めて米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けている。
冨田さんの音楽家としてのあゆみ、そして功績は次の通り。

◆冨田勲(作曲家・シンセサイザーアーティスト) 1932年東京生まれ。
慶応義塾大学在学中から平尾貴四男、小船幸次郎各氏に作曲を師事。
在学中よりNHKの音楽番組の仕事を始める。

1953年にはNHKラジオの第一放送と第二放送を同時に使用した
ステレオ音楽番組「立体音楽堂」等の番組に参加。
1963年大河ドラマ第1作「花の生涯」の音楽を担当、現在までに計5本のシリーズを手がけている。
また1966年には手塚治虫氏のTVアニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽を作曲、
従来のアニメ音楽を越える優れた音楽性が高い人気を呼び、
交響詩版「ジャングル大帝」は同年の芸術祭奨励賞を受賞した。

1970年頃よりシンセサイザーによる作編曲・演奏に着手。
1974年には米RCAよりリリースされた
アルバム「月の光」が米ビルボード・クラシカル・チャート第1位となり、
日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネートされ、
さらに全米レコード販売者協会(NARM)の
1974年度クラシック部門最優秀レコードに選出されるという快挙をなしとげ、
TOMITAの名は全世界的なものとなる。

以降「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」から
「バッハ・ファンタジー」(1996)にいたる多くのシンセサイザー・アルバムを発売、
いずれもが世界的なヒットを記録している。

1984年、
オーストリア・リンツ市にてドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、
8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大なイヴェント「トミタ・サウンドクラウド」を催す。

以後ニューヨーク(1986自由の女神百年祭)、岐阜(1988 中部未来博)、
シドニー(1988オーストラリア建国200年祭)、名古屋(1997 中日ドーム)にて同様のイヴェントを行なう。
また立体音響によるサウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」を
渋谷オーチャード・ホールにて上演(1990)。

90年代には再び映像音楽への活動を再開、NHK「大モンゴル」、松竹映画「学校」シリーズ、
NHK「街道を行く」シリーズ、ビデオ「長嶋茂雄」シリーズなどを作曲。
1998年、冨田音楽の集大成とも呼べる、
オーケストラ、シンセサイザー、邦楽器を駆使したオリジナル作品「源氏物語幻想交響絵巻」を作曲。
東京、ロスアンジェルス、ロンドンにて初演の後ロンドン・フィルと録音し、
2000年11月に日本コロムビアよりCDを発売。

2001年3月、NHK放送文化賞受賞。東京ディズニーシー、
アクア・スフィアのエントランス・ミュージックとして3面立体音響のためのシンフォニーを作曲。
NHK大型ドラマ「聖徳太子」の音楽を担当、
東映映画「千年の恋~ひかる 源氏物語」では日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。
2002年はNHKスペシャル「アジア古都物語」の音楽を手掛け、
松竹映画「たそがれ清兵衛」の音楽は日本アカデミー賞最優秀音楽賞に輝いた。

立体音響の集大成として4.1chサラウンドによる
「惑星」(DVDオーディオ/ビデオ盤)を2003年3月にリリース。
2009年には、同じくサラウンドによる
「交響詩 ジャングル大帝 ~白いライオンの物語~《2009年改訂版》」をリリース。

2011年からは「ISAO TOMITA PROJECT」が始動。
「惑星」や「月の光」「源氏物語」など、過去の代表作をリメイク&サラウンド化した完全版が
日本コロムビアより継続的にリリースされている。

2011年1月には世界を舞台にした
作曲家・音響クリエーターとしての活動が認められ、2011年度朝日賞を受賞。
さらに11月には、日本の代表的な詩人・作家、宮沢賢治の作品世界を題材にし、
ソリストに世界的人気を誇るヴァーチャル・シンガー“初音ミク”をソリストに起用した
「イーハトーヴ交響曲」の世界初演が行われ大きな話題となる。
この交響曲は13年夏に賢治の故郷である岩手県花巻市を皮切りに、
全国3箇所で再演公演がおこなわれた。

また、同夏には、幕張メッセでおこなわれた
2万人規模の夏フェス『FREEDOMMUNE0<ZERO>2013』に夜明けの大トリに出演し大反響となった。
14年には、オーストリアの飲料メーカー“Redbull”主催の
プロジェクトRedbull Music Academy東京2014に招かれ、
世界の若きミュージック・クリエイターたちの前で講演を行い、世界中で話題となった。

同年5月には、「イーハトーヴ交響曲」が中国・北京で上演され、大きな反響を得た。
そして「イーハトーヴ交響曲」に続く新作「ドクター・コッペリウス」を制作中であった。」


こういった分野の音楽に詳しくない自分でも冨田勲さんのことは知っていました。

それだけ一般の人に知れ渡ったシンセサイザーアーティストは日本では冨田さんだけだと言えます。

常に新しいものを追い求めた人でもあり、
2011年に初音ミクとコラボした時には世間をアッと驚かせました。

そのような巨匠が死去されたことは日本の音楽界にとって重大な損失であることは間違いありません。

残念ですが、今はただ安らかに眠ってほしいと思います。合掌。




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