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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
伝説の2冠馬が死す―ミホノブルボンが死去…28歳
1992年に「皐月賞」と「日本ダービー」を制したミホノブルボンが死去しました。

28歳でした。


このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。

「92年皐月賞、ダービーを制した2冠馬ミホノブルボンが老衰のため、
けい養先の北海道日高町のスマイルファームで22日に死んだことが分かった。
28歳だった。
12年に種牡馬を引退した後、同ファームで余生を過ごしていたが、
21日朝から寝たきりの状態になり、22日午後6時すぎに息を引き取った。
同ファームの中村広樹代表は
「長い間、訪れてくれたファンの方々に元気な姿を見せてきたが、
さすがに最近は年を経るごとに衰えていた。大往生だと思う」と語った。

栗東坂路調教の草分けで知られた故戸山為夫師に鍛え抜かれ、
「坂路の申し子」、「スパルタの風」と呼ばれた希代の快足馬だった。
父はミルジョージの代用種牡馬だった短距離系のマグニテュード。
わずか750万円で取り引きされた地味な血統だったが、
91年9月のデビュー戦から朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)、
皐月賞、ダービー、京都新聞杯まで無敗7連勝。
菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて3冠制覇こそ逃したが、
92年の年度代表馬にも選出された。
その後は度重なる脚部不安に悩まされ、菊花賞を最後に8戦7勝で現役引退。
94年の種牡馬入り後はJRA重賞勝ち馬を送り出せなかった。」


血統がものを言わす競馬界においてミホノブルボンの血統はかなり地味なものでした。

そういった中で見せたミホノブルボンの活躍は、良い意味で期待を裏切るものだったと言えます。

種牡馬としての活躍はイマイチで、
ミホノブルボンの血を後に伝えられなかったことだけが悔やまれますが、
それでも伝説的なミホノブルボンの走りは後世に語り継がれることでしょう。




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