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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
嬉しい初優勝―御嶽海が長野出身力士で初の優勝
7月21日、大相撲名古屋場所の14日目が行われ、
御嶽海が栃煌山を下して長野出身力士では初となる優勝を決めました。


このことに関する記事が『日刊スポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「<大相撲名古屋場所>◇14日目◇21日◇ドルフィンズアリーナ

関脇御嶽海(25=出羽海)が東前頭13枚目の栃煌山(31=春日野)を下して、
13勝1敗で初優勝を決めた。
平成生まれでは照ノ富士以来2人目で、日本出身力士としては初めて賜杯を抱いた。

関脇の優勝は15年夏場所の照ノ富士以来3年ぶり。
学生出身力士としては01年秋場所の琴光喜以来17年ぶり。
また、名門出羽海部屋の力士としては80年初場所の三重ノ海以来38年半ぶりで、
長野県出身力士としては、優勝制度が制定された1909年(明42)以降は初めて。
古くは最強の異名を取った
江戸時代の雷電の1810年(文化7)以来、208年前までさかのぼる。

1992年(平4)12月25日、
父春男さんとフィリピン人の母マルガリータさんの間に生まれた。
幼いころから運動神経には恵まれ、自信を持っていた。
だが、小学1年のとき、地元で開かれた相撲大会で、自分よりも体が小さい子に負けた。
その悔しさから、すぐに相撲を始めた。
「やる。強くなる」。
そう宣言した。

長野県木曽郡上松町の実家は山や川に囲まれている。
「オヤジとキノコやタラの芽を採りに山に入ったり、川で泳いだり…。
アユやイワナ、ヤマメが釣れて塩焼きにするとおいしいんです。
頭も全部食える。
捨てるところがないんですよ」。

自然が遊び場だった。
中学3年のときには、同学年の平均が215センチの立ち幅跳びで260センチも記録した。
長野県立・木曽青峰高では森林環境科を専攻。
「山登りが多い学校」(御嶽海)で1時間で登り、30分で木を切り、30分で下る-。
それを週に2回こなした。

「隣木があると邪魔なので、どっちに向けて切るかとかバランスを見ながらやる。
基本は谷川に倒すんです」
「チェーンソーは基本、使わない。
オノやノコギリの手作業。
切るのはタイミングが大事。
のこぎりを引くと切れるんです。そのタイミング」
「山を登るには、足裏をしっかり使わないとだめ。
斜面に沿って歩くとなると、つま先に力を入れると歩きやすい。
前傾姿勢が大事。足首も強くなりましたね」。

大自然の中でわんぱくに、たくましく育った。
それが、今の下地だった。

東洋大では4年時にアマチュア横綱と学生横綱の2冠に輝いた。
当初は和歌山県庁への就職を考え、両親もプロ入りには反対だった。
だが、本人の意思はプロ入りに傾いた。
「やってみたい」と両親を懸命に説得。
決まったのは、クリスマスイブ直前だった。

15年春場所に、幕下10枚目格付け出しでデビューした。
そこから21場所目。
日馬富士、鶴竜、稀勢の里、白鵬と対戦した4横綱すべてから白星を挙げるなど、
確実に階段を上り続けた「木曽の星」が今、大きな仕事をやってのけた。」


横綱不在の状況下で優勝を決めたのは長野出身の御嶽海でした。

それにしても長野出身の力士の優勝が、優勝制度が制定されてからは初めて、
それより前に遡ると江戸時代の雷電の1810年(文化7)以来というのですから驚きです。

伝説的力士の後を追う事となった御嶽海からこれからも目が離せませんね。





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