このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。
JRA181勝をマークしている中谷雄太(40=栗東・フリー)が
24日付で引退することが分かった。
今週は新潟で土曜、日曜とそれぞれ3鞍に騎乗する。
ジョッキーが引退を決断する理由は様々にあるが、
中谷の場合は
「元々の自分の人生設計として
40歳くらいでジョッキーを辞めて
違う世界にチャレンジしようと決めていたこと」とコメントしており、
いわば“転職”を決断。
なぜこのタイミングか?との唐突感にも
「一昨年の春にケイ椎の骨を折って
長期休養してからも思うように結果を出せなかったのも事実で、
まだ重賞も勝っていませんが、
半年悩んで区切りがついたので引退を決断しました」と続けた。
また、本紙単独の取材に
「競馬の世界から離れます。
馬が嫌いになった訳ではなく、
競馬学校時代を含めると25年間もこの世界でお世話になりました。
ジョッキーの職業も非常にやり甲斐がありました。
周りから『まだやれる』『もったいない』との声をありがたく聞きながら、
引退するのも自分らしい引き際かな、とは思います。
悔いはありません」と話した。
98年に関東所属でデビューした中谷は途中から関西に移籍し、
今年23年目を迎えた中堅クラスのジョッキー。
JRA通算勝利は181勝で重賞勝利に手が届かなかったが、
実質の師匠でもある矢作師のバックアップなどで活躍の場は広まっていた。
引退セレモニーのようなものは用意されておらず、
日曜の新潟8R・リーゼントシャルフが自身の最終騎乗。
そのレース後にジョッキー仲間から花束が贈呈される。
中谷騎手は決して派手さはないですが、
確実にそこに存在し続け、仕事を着々とこなすというタイプの騎手でした。
競馬ファンにとってジョッキーというのは、
時に感謝するものであり、時に罵倒する対象にもなりうるものです。
その点において中谷騎手は多くの罵倒の言葉も掛けられたのでしょうが、
今この時になって、
多くの競馬ファンが中谷騎手に贈るのは
「お疲れ様」という労いの言葉であるはずです。