7月31日に死去しました。
26歳でした。
このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。
97年の菊花賞を制したマチカネフクキタルが7月31日、
山梨県北杜市の小須田牧場で死んだ。
26歳だった。
10年に種牡馬を引退後は
マチカネタンホイザ(13年12月に死亡)と一緒に同牧場で余生を過ごしていた。
同牧場は「『馬名のフクキタルから福を貰いに』と、
常に多くのファンの皆様に囲まれている馬でした。
最後は放牧場の草地で眠るように亡くなりました」とその死を悼んだ。
現役時代は22戦6勝。
3歳夏のさくらんぼSを制して軌道に乗ると、
秋からは南井克巳とコンビを結成し、神戸新聞杯、京都新聞杯と3連勝。
さらには菊花賞も制し、4連勝でG1馬の座に就いた。
その後は裂蹄などに悩まされ、
6歳まで現役を続けたものの勝つことはできなかった。
種牡馬としては平地での活躍馬こそ出せなかったが、
障害では07年の中山新春ジャンプSを制し、
中山グランドジャンプでは2着だったリワードプレザンが出ている。
なお、同じく細川益男オーナーが所有する同期にはマチカネワラウカドがおり、
「笑う門には福来たる」のセットで語られることが多い。
ワラウカドはダートで活躍し、重賞を3勝している。
マチカネフクキタルは名前の面白さもあり、
多くの競馬ファンにとって印象深い1頭だったはずです。
残念ながら後継と呼べる子どもは出ませんでしたが、
それがマチカネフクキタルの名誉を傷つけることは無いと言えるでしょう。
マチカネフクキタル、日本競馬界に「フク」を呼び込んでくれてありがとう!!