23歳でした。
このことに関する記事が『デイリースポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。
01年ジャパンCダートなどG1・2勝を挙げたクロフネ(牡23歳)が
17日、けい養先である北海道安平町の社台スタリオンステーションで、
老衰のため死んだことが明らかになった。
18日にJRAが発表した。
同馬は00年10月に京都競馬場でデビュー。
翌年にはNHKマイルCを猛烈な追い込みで制してG1初V。
続くダービーでは2番人気に推されるも、5着に終わった。
秋にダートへ戦いの場を移すと、
ファンの度肝を抜くパフォーマンスを連発。
武蔵野Sでは1分33秒3の驚異的なレコードで9馬身差の圧勝。
さらに、ジャパンCダートでも7馬身差の独走劇を演じて、
JRA最優秀ダートホースに輝いた。
しかし、屈腱炎を発症したことで、そのレースを最後に引退。
02年から種牡馬入りすると、
20年の最優秀2歳牝馬に選ばれた白毛馬ソダシなど
多数の活躍馬を輩出した。
現役時代に管理した松田師は
「武蔵野Sの勝ち時計が(翌年の)安田記念と同じタイムだったり、
いつまでも記憶に残ってくれる馬。
種牡馬としても日本の競馬に貢献してくれましたし、
このクロフネの血が後々まで残ってくれたらいいですね。
今はとにかくありがとうの気持ち。
安らかに眠ってほしいです」とコメントした。
社台スタリオンステーション事務局の徳武英介氏は
「夏の間はとても元気に過ごしていたのですが、
ここ2カ月ほど体調が優れず、17日の午後2時に息を引き取りました。
スタッフからもよくかわいがられており、
大きなショックを受けておりますが、
クロフネには感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。
クロフネが競走馬としてデビューした世代から
日本競馬は大きな変化を迎えました。
それは「日本ダービー」に外国産馬が出走出来るようになったのです。
まさにこれは日本競馬界にとって「開国」であり、
そんな年の有力馬にクロフネの名が連なっていたのは
まさに運命的なことだったと言えます。
結果的に「日本ダービー」では5着でしたが、
「NHKマイルC」と「ジャパンCダート」という
芝とダートのG1で勝利を挙げたことは歴史残る偉業であり、
まさしく日本競馬界にとってその存在は「黒船」であったと言えるでしょう。
競走馬としても種牡馬としても頑張ったクロフネですので、
どうか安らかに眠ってほしいと思います。