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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
「マイネル軍団」総帥の死―岡田繁幸さんが死去
「マイネル軍団」の総帥として知られる岡田繁幸さんが死去されました。

死因は不明で、71歳でした。


このことに関する記事が『日刊スポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。

マイネル軍団総帥・岡田繁幸氏が19日朝に亡くなったことが分かった。
この日が71歳の誕生日だった。
死因は不明。

近年は腸の具合が悪く、原因不明の下痢の症状に悩まされていた。
2月11日に北海道新冠町のビッグレッドファームで行われた
種牡馬展示会には出席。
糖質制限などで一時期よりは体調が戻ってきていると
話していたという。

牧場の長男として生まれた岡田繁幸氏は、
米英で修行後の1974年(昭49)に独立。
ビッグレッドファームを開設し、
86年4月にクラブ法人ラフィアン・ターフマンクラブを立ち上げた。
同年5月、
自分名義のグランパズドリーム(父カブラヤオー)が
ダービーで2着し、早々と頂点に迫った。

87年にクラブの1期生がデビューすると、
88年にはマイネルフリッセ(父リードワンダー)、
マイネルグラウベン(父コインドシルバー)、
マイネルムート(父ファインポート)が次々に重賞を勝利。
いずれの父も主流血統ではなく、
一躍競馬界の革命児として名を上げた。

北海道の牧場をくまなく回り、
年間数千頭の中から見込んだ馬を、
セリや庭先で買い求めた。
体のバランス、筋力に加え、
筋肉の質の見極めがポイントと心得て、相馬眼を磨いていった。
当時は秋からが常識だった追い運動を1歳5月からスタート。
昼夜放牧をいち早く取り入れ、育成にも工夫を凝らした。

即断即決で400万円で購入したコスモバルクは、
地方ホッカイドウ競馬所属のまま中央に参戦。
いきなり重賞2つを含む3連勝を飾り、
皐月賞2着、ダービー8着、菊花賞4着とクラシックを沸かせ、
ジャパンC2着など大活躍してファンの心をつかんだ。

JRA・G1勝利はマイネルマックス(朝日杯3歳S)、
マイネルラヴ(スプリンターズS)、
マイネルレコルト(朝日杯FS)、
マイネルキッツ(天皇賞・春)、
マイネルネオス(中山グランドジャンプ)、
マイネルホウオウ(NHKマイルC)。

ずっと「ダービーを勝ちたい」と公言してはばからなかった。
グランパズドリームとダイナガリバーとの半馬身差が、
ずっと重くのしかかった。
昨年までグループの38頭をダービーに送り込んだが、
夢は果たせていなかった。

◆岡田繁幸(おかだ・しげゆき)
1950年(昭25)3月19日、北海道生まれ。
生産牧場を営んでいた故・父蔚男さんの長男として生まれ、
68年に日大農獣医学部に入学。
70年に同校を中退し、渡米。
米国、英国の牧場で研修を積み、
71年の帰国後は父の牧場へ。
74年に独立後、76年にビッグレッドファームを設立。
86年にラフィアン・ターフマンクラブを発足。
クラブ法人名のラフィアンは米牝馬3冠を達成した名牝が由来。
冠名として授けてきたマイネル(男性形)、マイネ(女性形)は
ドイツ語で「私の」の意味。
長男紘和氏はラフィアン代表。
三男義広氏はウインレーシングクラブ代表。
弟牧雄氏は岡田スタッド代表。



競馬ファンにとって「マイネル」の冠名は有名です。

「マイネル」を知らずに競馬ファンと言っている人が居たならば、
そいつはもぐりだと言っていいでしょう。

それぐらい日本競馬界に岡田さんは重大な影響を及ぼしているのです。

岡田さんは亡くなりましたが、
岡田さんが育てた競走馬、種牡馬、繁殖牝馬たちは残っています。

そのことから言っても、岡田さんはこれからも
日本競馬界に大きな影響を及ぼし続けるのだと言えるでしょう。






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