日本代表がROC(ロシア・オリンピック委員会)を破り、
同種目で初めて金メダルを獲得しました。
このことに関する記事が『スポーツ報知』に掲載されていたので以下で紹介します。
◆東京五輪 フェンシング男子エペ団体戦 (30日、千葉・幕張メッセ)
世界ランク8位の日本(山田優、加納虹輝、宇山賢、見延和靖)が、
同種目で初めて金メダルを獲得した。
ROC(ロシア・オリンピック委員会)と対戦し、勝利を収めた。
1番手で登場したエースの山田優(自衛隊)が5―4と順調な滑り出し。
17―14の場面で5番手の宇山が6連続ポイントを含む
8ポイントで25―20と一気に突き放した。
1回戦で同10位の米国、
準々決勝では世界ランク1位で五輪4連覇を狙ったフランスを
45―44で撃破。勢いに乗り、
準決勝は同5位の韓国を45―38で破った。
日本の金メダルは17個目となり、
1964年の東京五輪と2004年アテネ五輪の16個を上回り、
1大会最多を更新した。
フェンシングのメダル獲得は
2008年北京五輪男子フルーレ個人太田雄貴(現・国際連盟副会長)、
12年ロンドン大会フルーレ団体の銀2つ。
史上最強と名高い「エペジーーン」が
日本勢初の金メダルを狙い、ついに悲願を達成した。
◆フェンシング 史上最強「エペジーーン」とは
▽エペジーーン
「エペ陣」をもじった造語。
「ー」が2つなのは、じ~んと感動させたい、の意味が込められている。
▽史上最強
今大会と同じメンバーで臨んだ19年3月のW杯ブエノスアイレス大会で
日本勢同種目初の金メダルを獲得。
20年2月のW杯カナダ大会でフランスを破り銅メダル。
最年長の見延は19年に同種目で
日本人初の世界ランク1位に浮上し同年の年間王者に。
エース・山田は20年3月のグランプリブダペスト大会で金メダル。
▽種目とルール
電気の通った剣先が有効面に当たり、
一定の圧力がかかると通電しポイント判定される。
フルーレ、サーブル、エペの3種目があり、エペは全身が有効面。
フルーレの有効面は胴体のみ、サーブルは上半身のみ。
▽長い歴史
元々は中世ヨーロッパの騎士が磨いた剣術。
五輪には1896年第1回アテネ大会でフルーレ、サーブルが採用された。
エペは1900年第2回パリ大会から採用。
第1回から現在まで継続して採用されているのは
陸上、競泳、体操、フェンシングの4競技だけ。
◆山田 優(やまだ・まさる)
1994年6月14日、三重・鳥羽市生まれ。27歳。
所属する自衛隊で階級は2等陸尉。
小学2年で競技を始めた当初はフルーレで、
現日本代表コーチの勧めでエペに転向。
鳥羽高から日大に進み、
14年世界ジュニア選手権で日本勢初優勝を果たす。
19年アジア選手権金メダル。
剣先をしならせて相手の背中を突く「振り込み」が得意。
姉あゆみさんも女子エペの元日本代表。
◆加納 虹輝(かのう・こうき)
1997年12月19日、愛知・あま市生まれ。23歳。
2008年北京五輪を見てフェンシングに興味を持ち、
小6で競技を始める。
最初はフルーレだったが、
岩国工高の時に出場したエペの大会で優勝し転向。
早大を経て20年4月にJAL入社。
173センチ、64キロ。右利き。
◆宇山 賢(うやま・さとる)
1991年12月10日、香川生まれ。
中学入学と同時に競技を始める。
高松北高はフルーレが中心で、同大に進む。
卒業後、大手家具メーカーに就職するも
競技との両立が難しく5か月で退社。
9か月の無職生活を経て「アスナビ」で三菱電機に入る。
趣味はギター。好きな食べ物はさぬきうどん。
190センチ、73キロ。右利き。
◆見延 和靖(みのべ・かずやす)
1987年7月15日、福井・越前市生まれ。34歳。
父の勧めで武生商高からフェンシングを始める。
法大を経てネクサス入り。
16年リオ五輪は個人6位。
197センチのリーチを生かして19年で
同種目日本勢初のW杯優勝など活躍し、
18~19年シーズンの年間1位に輝く。
出身の越前市でふるさと大使を務めている。
177センチ、75キロ。左利き。
まさにジーンと感動させられるような試合でした。
リードをしていても攻めることを忘れず、
守りに入ることなく攻め続ける姿は本当にカッコ良かったです。
「エペ」は日本がこれまで得意ではない種目だったようですが、
さすがは史上最強と呼ばれるメンバーたちです。
見事な試合を見せてくれました。
本当に感動しました。