26歳でした。
このことに関する記事が『日刊スポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。
11日に老衰のため天国へ旅立ったアグネスフライト(牡26)に、
同馬の主戦を務め、
00年のダービーをともに制した
元騎手の河内洋調教師(67)が12日、感謝を語った。
そのダービーでは、
武豊騎手の皐月賞馬エアシャカールと鼻差の激戦を演じ、
ジョッキー27年目だった河内師にとっては初のダービータイトルとなった。
師は電話で連絡を受けたといい
「ダービーを勝ってくれたので、俺の人生を大きく変えてくれた馬。
あの時、45歳だったのでラストチャンスだと思っていた。
ゴールの瞬間『勝った』と思ったけど、
その後、(武)豊が『おめでとうございます』と言ってくれて勝ちを確信した。
いいレースだった。
あの馬はああいう感じ(最後方から)で乗らないと、と思っていた。
一世一代の大勝負やったね。
最後は伸びてくれるのを信じていた。
最後はエアシャカールと接触して、
普通はひるむけど、根性を出してくれた。
豊のダービー3連覇を阻止したね。
えらいことやったなあ」と思い出を振り返った。
フライトが現役引退後も何度か会いに行っていたと明かし
「最後に会ったのは2、3年前かな。
去年の夏も苦しい時期があったみたいで、
乗り越えたけど、力尽きたかな。
いつかはこういう時がくる。
感謝しかない。
この血統は(弟の)アグネスタキオンも乗ったし、
桜花賞(母アグネスフローラ)、
オークス(祖母アグネスレディー)、
皐月賞(タキオン)、
ダービーとみんな勝ってくれた。
タキオンも亡くなったし、ひとつの時代が終わった感じ。
ありがとうですね。安らかに」と、しのんだ。
アグネスフライトといえば、
ミレニアムイヤーである2000年の「日本ダービー」を制した、
まさに記憶に残る名馬であります。
今は調教師となった河内洋元騎手にとっては
騎手として自身初となるダービーのタイトルをもたらした馬でありました。
多くの人々にとって特別な1頭であったと言えます。