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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
世界的音楽家の死―坂本龍一さんが死去
3月28日、音楽家の坂本龍一さんが死去されました。


このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。

「世界のサカモト」と評された
音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、死去した。
71歳。東京都出身。
葬儀は近親者のみで営まれた。

スポニチ本紙の取材では都内の病院で亡くなった。
日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も
「坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしましたした」と発表した。
20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。
「キャブ」は
「がんの治療を受けながらも、
体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、
最期まで音楽と共にある日々でした」とした。

坂本さんについて「天才ではなく秀才。努力家だった」と周囲は評した。
常にメモ帳を持ち歩き、気になったことはすべてメモする。
アルバム制作時は最初にコンセプトを決め、徹底的に分析する。
自分に足りないところは勉強する。
感覚的なものではなく、しっかりと戦略を立てるタイプだった。

78年に高橋幸宏さん(今年1月他界、享年70)、細野晴臣(75)とYMOを結成。
79年にシンセサイザーを使った斬新な音楽が海外で受け、
世界ツアーを2度成功させた。
国内では竹の子族がヒット曲「ライディーン」を踊るなど、社会現象にもなった。
個人でも「世界のサカモト」と呼ばれ、抜群の知名度を誇った坂本さん。
1983年の「戦場のメリークリスマス」の
メインテーマ「Merry Christmas Mr.Lawrence」は
今なお弾き継がれる代表曲の一つ。
87年公開の米映画「ラストエンペラー」では
88年の米アカデミー賞作曲賞を日本人として初受賞した。

製薬会社「三共」(現第一三共ヘルスケア)の
医薬品「リゲインEB錠」のCMに用いられた
ピアノソロ曲「エナジー・フロー」も大ヒット。
同曲が収録された「ウラBTTB」(1999年発表)は、
人声を用いないインストゥルメンタルのシングル作品として
初のオリコンチャート1位を記録した。

人柄は明るく積極的。
中学時代はバスケットボールをしており、
高校時代は読書家で哲学書を読みあさった。
全共闘運動にも参加し、YMOの結成までは、
げた履き、髪もぼさぼさなバンカラスタイルだった。

普段は温厚だが、
こだわっていることに対しては負けん気が強く、
職人気質なところがあった。
自分の考えを貫くタイプで、海外ミュージシャンから
「ユー・アー・ストーン(石のように頑固だ)」と言われたことも。
音楽も担当した出演映画「ラストエンペラー」では、
無理な注文をするベルナルド・ベルトルッチ監督と衝突することもあった。
常に全力で真摯(し)に曲作りに向き合っていた。

坂本 龍一(さかもと・りゅういち)
1952年(昭27)1月17日生まれ、東京都出身。
3歳でピアノを始め、小2でバッハの音楽に傾倒する。
78年11月にYMOとしてデビューし、83年に“散開”。
88年、映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックで
アカデミー賞作曲賞だけでなく、ゴールデングローブ賞作曲賞、
翌89年にグラミー賞最優秀オリジナル映画音楽賞も受賞。
07年にYMOを復活させ、
翌08年に28年ぶりの英ロンドン公演を成功させた。



坂本龍一さんは、日本を代表する音楽家であり、
世界にもその名を知られていました。

その証拠に『スポニチアネックス』の別の記事では、
「ロイター通信社は
「映画『ラストエンペラー』の作曲者、坂本龍一さん死去71歳」という見出しで
坂本さんの訃報を世界に打電。
中国、韓国、ロシアのメディアも坂本龍一さんの死去を速報した。」
と報じられています。

音楽界に与えた影響の大きさは計り知ることが出来ないほど大きく、
このたびの坂本さんの死は音楽界にとって大きな損失だと言えるでしょう。






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