このことに関する記事が『日刊スポーツ』に掲載されていたので以下で紹介します。
91~93年有馬記念で3年連続3着に入るなど、
個性派として人気を集めたナイスネイチャ(せん)が30日、
北海道浦河町の渡辺牧場で死亡した。
35歳だった。
認定NPO法人引退馬協会がホームページで発表した。
人間では100歳以上に相当するとみられ、
存命中のJRA重賞勝ち馬では最高齢だった。
今月に入って体調を崩し、
熱発などの症状があり治療が続けられていた。
同ホームページによると、30日の朝から心拍数が上がり、
腸の動きも鈍化し、体力的にも限界だったため、
午後0時40分に安らかに旅立った。
引退馬協会・代表理事の沼田恭子氏は
「本当に長い間、
最後の最後まで頑張ってくれたナイスネイチャに、
ありがとうの言葉しかありません。
ナイスネイチャのおかげで、多くの引退馬たちが、
新しい未来を作ることにつながりました。
支えてくださったたくさんの皆さま、
最後までお世話してくださった渡辺牧場の皆さま、
ありがとうございました」とコメントした。
現役時代は松永善晴厩舎に所属して通算41戦7勝(重賞4勝)だった。
主戦の松永昌博騎手(現調教師)が手綱をとり、90年12月にデビュー。
3歳時(当時表記4歳)の翌91年8月に小倉記念で重賞初制覇を果たし、
同年の菊花賞(勝ち馬レオダーバン)では4着に好走した。
同期のダービー馬はトウカイテイオー。
重賞4勝を挙げる活躍を見せた一方で、G1では惜敗が多く、
有馬記念では91~93年に3年連続3着。
勝てないながらも懸命に走り、上位に食い込む姿が、
多くのファンから支持されるきっかけとなった。
G1には通算16回挑戦。
3着4回、4着4回、5着1回と合計9回も掲示板に載った。
96年のアルゼンチン共和国杯(15着)がラストランとなった。
現役引退後は種牡馬となり、
種牡馬を引退した後は故郷の渡辺牧場で余生を過ごしていた。
「ウマ娘 プリティーダービー」のキャラクターとしても人気を集めた。
近年は認定NPO法人引退馬協会の「広報部長」を務め、
17年からは毎年4月16日の誕生日に
「バースデー・ドネーション」として引退馬支援の寄付を募り、
今年は7402万2066円を集めていた。
ナイスネイチャは現役時代はブロンズコレクターとして知られました。
引退後、特に近年は「ウマ娘」の影響で人気と認知度が急上昇し、
業界の課題ともなっている引退馬たちの行く末に一つの道を示しました。
この年齢での死は、馬としてはまさに大往生だと言えるでしょう。
合掌。今はただ安らかに。