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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
近代競馬150周年(1)―熱意の男と名種牡馬―
CMなどでご存知の方が多いかもしれませんが、今年は日本における近代競馬150周年の年です。

このような記念すべき年ですので、近代競馬における人や馬についてシリーズのような形をとりながら、
2012年中にいくつかの記事を書いていけたらいいなと思っております。


まず第1回目の今回ご紹介したいのが、「サンデーサイレンス」についてです。

このサンデーサイレンスという馬、競馬好きの方ならもれなく知っていると思いますが、
競馬にそこまで詳しくない方でも名前くらいなら聞いたことがあるという方がいらっしゃるかもしれません。

この馬が死んだ際には、一般紙でもその死が報道されるほど偉大な馬でした。

では、何がそんなに偉大だったんでしょうか。
それを知るためには、サンデーサイレンスのことについて少し知る必要があるでしょう。

サンデーサイレンスは1986年にアメリカのケンタッキー州で生まれました。
生まれて当初は、馬体の悪さと気性の激しさから買い取り手がつかなかったという問題馬でした。
その後、所有権を様々な人が持つ形で競走馬デビューまでこぎつけます。

1988年に競走馬デビューすると、
翌1989年にアメリカ三冠のうちケンタッキーダービー、プリークネスステークスという二レースを勝利し、
続けざまにアメリカ競馬のダート中距離路線の1年を締め括る最高峰の競走であるブリーダーズカップ・クラシックにも勝利しました。
このようにサンデーサイレンスは、アメリカ競馬界で輝かしい成績を収めたのです。

そんな文句なしのスーパーホースが日本で種牡馬時代を送ることになりました。
欧米のスーパーホースが引退後、即日本で種牡馬入りするようなことは、当時の日本競馬界では考えられないことでした。

では、なぜそのようなことが実現できたのでしょうか。
その背景には、一人の男がいました。

それが吉田善哉さんです。

吉田善哉さんといえば、日本競馬界では言わずと知れた社台グループの創業者です。
その吉田善哉さんが、サンデーサイレンスを日本に連れてきたのです。

吉田善哉さんはサンデーサイレンスの走ったレースを見て、購入を思い立ち、
それまで競馬界で築き上げた人脈を使いながら、購入の交渉を進めました。
そして、交渉は成功しました。

交渉成功の裏には、もちろん人脈の果たした役割が大きかったと思います。
しかし、最終的には大きかったのは吉田善哉さんの「サンデーサイレンスを日本に連れてくる」という熱意です。
そのことについて、当時のサンデーサイレンスの所有者は後に
吉田善哉さんの「サンデーサイレンスに対する執着心は度外れたものだった」と語っています。

それは、まさに熱意が呼んだ奇跡といっていいでしょう。

残念ながら、吉田善哉さんはサンデーサイレンス産駒のデビューを見ることなくこの世を去りましたが、
サンデーサイレンス産駒がデビューし始めると、それまでの日本競馬界の歴史は塗り替えられるが如くの大活躍を見せ、
吉田善哉さんの熱意に最高の結果でサンデーサイレンスは応えたのです。

その後、サンデーサイレンスは、1995年から2007年にかけて13年連続でリーディングサイアーを獲得するなど、
日本競馬界においてサンデーサイレンス系と呼ばれる一大サイアーラインを確立しました。

このようにサンデーサイレンスは偉大な名種牡馬となりました。
だからこそ競馬界に限らず、世間からも広く注目を集めるようになったのです。
そして、そうなった過程には熱意の男の姿があったことを忘れてはならないでしょう。

だってこれは近代競馬150年の中でも特に大事な人、大事な馬の出来事なのですから。
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