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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
吉本隆明さんを偲んで
3月16日、思想家で詩人の吉本隆明さんが亡くなりました。

吉本隆明さんが大変偉大な思想家であったことは、こういったこと(思想)に疎いと言える自分でもわかります。

では、その偉大さとはどこにあるのでしょうか。

吉本隆明さんについて、
哲学者の鷲田小彌太さんは著書『反哲学・入門編』(彩流社 2009年)にて以下のように書いています。

「大局(=抽象度の高い政治経済文化問題)と局所(個別的で具体的な人生問題)とをうまくつないだ哲学者は稀です。日本にはかつて三宅雪嶺が、現在では吉本隆明がいますが、例外中の例外です。二人とも大学の哲学(純哲)とは別なコースを歩みました。」

このように吉本隆明さんは、大学の哲学(純哲)や思想とは別なコースを歩みました。
あくまでも大衆というものに寄り添いながら歩み続けたのです。
そこに吉本隆明さんの偉大さ(凄さ)があると言えるでしょう。

しかし、決して大衆を迎合していたわけではありません。
事あるごとに世間に対して苦言や提案を繰り返していたのも事実です。

それが「オウム真理教評価」であり、最近で言えば「原発擁護」であります。
ただこれは、吉本隆明さん自身が独自のもの(思想)を持つ(目指す)人であったことを考えれば、
出てきて当然、言って当然、とも言えるような言葉でもあります。

吉本隆明さんの偉大さ(凄さ)は、思想家であり詩人であったことだとも言えます。
そのことは、自分の思想を表すために自分の思想に合った言葉を創造したことから言えるでしょう。

その代表格が「共同幻想」です。

「共同幻想」は、著書『共同幻想論』(河出書房新社 1968年、角川文庫 1982年)の中で書かれた言葉です。
「共同幻想」が記されたこの『共同幻想論』は、1968年当時の全共闘世代に熱狂して読まれ、強い影響を与えた思想書となりました。

一人の思想家が想像した言葉や思想に若者が熱狂するというのは、もちろん時代の流れというものはありますが、
なによりその中に書かれた思想がしっかりしていて、更にそれを表す言葉が的確であったからこそ起こったことだと言えます。
まさに思想家であり詩人だった吉本隆明さんの偉大さ(凄さ)でしょう。

東京都知事である石原慎太郎さんは16日の定例会見で、吉本隆明さんの訃報について以下のように述べました。

「体制派にしろ、反体制派にしろ、なかなか彼を継ぐ論客は現れてこない。これは国力の衰退、社会全体の衰退の現象だと思う。侃々諤々の議論がなくなった社会は成長しない。知的な刺激を与え合ってこそ成長がある。」

果たして、今後、吉本隆明さんを継ぐ論客は現れるのでしょうか。
そんな思いがこれから自分の頭に去来する度に、また吉本隆明さんの偉大さを思い知るのかもしれませんね。

今はただ安らかに。
合掌。



共同幻想論 (角川文庫ソフィア)共同幻想論 (角川文庫ソフィア)
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吉本 隆明

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反哲学・入門編 (鷲田小彌太“人間哲学”コレクション)反哲学・入門編 (鷲田小彌太“人間哲学”コレクション)
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