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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
近代競馬150周年(6)―戦後初めて海を渡った馬―
日本競馬は世界に比べて遅れている、こんな言葉が過去において渦巻いていました。
確かに、日本競馬界は近代競馬化してから、世界の上位国に追いついてきた、といえるまで多くの時間を要しました。
しかし、その多くの時間のあいだもずっと、日本馬(ここでは日本調教馬のことを指す)は海外遠征をし続けたのです。

第6回目となる今回は、戦後最初に海外遠征をした日本馬「ハクチカラ」について書いていきます。

戦前の日本馬の海外遠征は、1909年にロシアの競馬倶楽部から誘いを受け、
ロシアはウラジオストクに遠征したのが最古の記録とされています。
このとき日本馬は50頭近くが大挙して遠征をしたそうです。

それから約50年後の1958年にハクチカラは海を渡りました。
場所はアメリカで、これが日本馬の戦後初の海外遠征でした。

ハクチカラは1958年当時、古馬の最高格の競走である天皇賞と有馬記念をすでに制しており、
もはや国内に敵なし、つまり海外に戦いの場を求めるしかないという状態になっていました。
こういったやむにやまれぬ事情から、関係者は1958年5月にハクチカラを渡米させたのです。

このときの海外遠征には飛行機輸送が用いられました。
1958年当時は、馬を飛行機で運ぶのは異例中の異例でした。
もしハクチカラが暴れたときに射殺できるよう機長が銃を携帯していた、というエピソードもあります。

アメリカ遠征には、ハクチカラの主戦騎手であった保田隆芳さんも同行しました。
そして7月2日、その保田騎手を背に、初戦となるアローワンス競走にハクチカラは出走します。
結果はまさかの最下位だったのです。
しかも2戦目以降も、結果は決して振るうことはありませんでした。

その結果を受けハクチカラは現地でしばらくの休養をとります。
そして12月に復帰します。
そのときにはすでに保田さんは帰国し、騎手は現地の騎手が務めるようになりました。
その影響もあったのか、復帰後初となった6戦目からハクチカラは好走し始めます。

そして11戦目、
レイモンド・ヨーク騎手が騎乗したワシントンバースデーハンデキャップでハクチカラは初勝利をおさめたのです。
まさにこれは、日本競馬界の歴史的瞬間であったといってもいいでしょう。

ハクチカラは、残念ながらその後は勝利することが出来ず、海外での成績は17戦1勝に終わりました。
日本に帰国後は種牡馬になったものの活躍馬には恵まれず、インドに寄贈されました。
つまりハクチカラは再度海を渡ることとなったのです。

間違いなくハクチカラは、日本馬の海外遠征のパイオニアでありました。
その後、このハクチカラを追うようにして日本馬の海外遠征は続いたのです。


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2012/06/21(木) 04:20:16) | まとめwoネタ速neo