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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
近代競馬150周年(8)―初めて越えた壁―
日本競馬界には長年に渡って越えられないひとつの壁が存在しました。
それが、海外G1の制覇の壁でした。
やっとその壁が越えられたのは1998年のこととなります。

第8回目となる今回は、日本馬初の海外G1制覇をした「シーキングザパール」について書いていきます。

シーキングザパールは1994年にアメリカで生まれました。
庭先取引にて日本人の馬主の手に渡り、来日を果たします。

デビューレースは1996年の7月、小倉競馬場で行なわれた新馬戦でした。
その新馬戦の結果は7馬身差の圧勝、圧倒的な力の差を見せ付けます。

その力は続いて出走した新潟3歳ステークスでも見せ付けられます。
新潟3歳ステークスでは、スタート直後に大きく外へヨレて体勢を崩し、
落馬寸前にまで追い込まれたものの、見事に3着に食い込んだのです。
結果的には敗れはしたものの、シーキングザパールの力を証明するレースとなりました。

続いて出走したデイリー杯3歳ステークスはメジロブライトを突き放して快勝しますが、
G1レースの阪神3歳牝馬ステークスではメジロドーベルの雪辱を許すこととなります。

年明けに出走したシンザン記念を制覇した後、G1レースのNHKマイルCまで怒涛の重賞4連勝を果たします。
しかし、国内G1レースの制覇はこのNHKマイルCにとどまることとなります。

そんな国内での運に恵まれない状況を鑑みて、陣営は早くから海外挑戦に照準を合わせました。
そして、その狙いが見事に当ったわけです。

1998年の8月、フランスのG1レースであるモーリス・ド・ゲスト賞に挑戦し、
なんと1分14秒7のレコードタイムで、日本馬初の海外G1制覇を果たしました。
この制覇については、フランスの地元紙が「シーキングザパール爆弾、炸裂」と報じるなど、
フランス国内でも驚きを持って迎えられました。

しかし、そのあとの国内に戻ってのレース結果は芳しくなく、
モーリス・ド・ゲスト賞のレース後は勝利することなく引退を迎えています。
そのためなのか、イマイチ日本の競馬ファンの間でのシーキングザパールの評価は低く見えます。
それを表すように、JRAが2000年に実施したファン投票企画「20世紀の名馬大投票」では
上位の100位以内に選ばれませんでした。
シーキングザパールの実力・実績からすれば、決して入っていてもおかしくはないのにです。

国内では敵無しで海外挑戦では挫折を味わったシンボリルドルフのような馬もいれば、
国内では不運が続き海外挑戦で栄光を味わったシーキングザパールのような馬もいるのです。
だからこそ、日本の競馬ファンには、海外で活躍した競走馬にも光を当てて欲しいと思います。
そうでなければ、これからも海外G1制覇の価値が不当に評価されることとなってしまいます。
それはこれからの日本競馬界にとって最大の不利益となるでしょう。


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