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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
近代競馬150周年(11)―「馬優先主義」の男―
競馬というのは競走馬の力だけではなく騎手の力によるところも大きい競技です。
当然、騎手の存在は競馬関係者、そして競馬ファンから大きな注目を集めます。
そんな騎手というものの在り方を、日本競馬界においてガラッと変えた一人の騎手がいました。

第11回目となる今回は、 馬優先主義を掲げて大活躍した名騎手「岡部幸雄」さんについて書いていきます。

岡部さんは1948年に群馬県で生まれました。
実家は馬の育成を行っていたため、小さな頃から馬に慣れ親しんだ生活をしていたそうです。
そんな岡部さんの体が同い年の同級生たちと比べても小さかったこともあって、
中学生になり中央競馬の騎手を志すようになったのは当然の流れといえるでしょう。

1964年に馬事公苑騎手養成所に入学し、1967年に岡部は騎手免許を取得してデビューを果たします。
そして岡部さんは鈴木清厩舎所属の騎手として下積み時代を送りました。

そんな岡部さんに転機が訪れます。
それが、1971年の年末にしたアメリカ訪問でした。
そこで岡部さんは、競走馬のたくましさ、騎手の技術水準の高さやレースに臨む態度をに大変な感銘を受け、
後々の岡部さんの代名詞ともなる「馬優先主義」の基礎となる部分が築くこととなります。

岡部さんがアメリカから得たものはそれだけではありませんでした。
それまでの日本のモンキー乗りとは違うアメリカ式のモンキー乗りの要素取り入れた
岡部さん独自のモンキー乗りを完成させ、これが岡部さんの日本国内での大活躍につながったのです。

あと、岡部さんが先駆的に行なったことで、現在に多大なる影響を与えたことがあります。
それが、特定の厩舎に所属しないフリーランスの騎手のさきがけとなったことです。
それまで厩舎所属の騎手というのが当たり前だった日本競馬界において、
岡部さんは突如として1984年にフリーランスの騎手となったのです。
奇しくもこの1984年は、岡部さんがシンボリルドルフに騎乗して
中央競馬牡馬クラシック三冠を史上初となる無敗で達成した年でもありました。

こんな先駆的な岡部さんの行動は日本競馬界の常識を変えました。
優れた騎手が優れた馬に乗る、という当然の流れが日本競馬界でも実現するようになったのです。
これはまさしく岡部さんの大いなる功績です。

岡部さんは怪我に泣かされた騎手でもありました。
1988年の落馬事故によって重傷を負い、また騎手生活の晩年は左膝の痛みに悩まされ続けました。
こういった怪我の数々で体がボロボロになっていたことが、
岡部さんの現役の騎手引退を決意する要因になったことは間違いないでしょう。

2005年に入り岡部さんは自身の騎乗に違和感を覚えるようになり、
2005年の3月10日に騎手免許を返上して騎手を引退をしました。
引退後は、名騎手の引退後の既定路線である調教師にはならず、「JRAアドバイザー」として活躍されています。
そういった引退後の姿もまた、日本競馬界に新たな風を吹かせ続けた岡部さんらしい生き方といえるでしょう。


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