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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
近代競馬150周年(14)―日本競馬を愛した男―
有馬記念は、その一年の日本競馬を締めくくるレースとして知られています。
このレースに出走する競走馬はファン投票で選ばれます。
このファン投票で選ばれるレースというのは世界でも類例を見ないシステムなのです。
では、どのようにして、このファン投票というシステムは生まれたのでしょうか。

第14回目となる今回は、 日本中央競馬の発展に尽力した「有馬頼寧」さんについて書いていきます。

有馬頼寧さんは1884年に東京で生まれました。
父は旧筑後国久留米藩主有馬家当主で伯爵有馬頼万さんという名家に生まれた有馬さんは、
東京帝国大学(現在の東京大学)農科(現在の農学部)を卒業後、農商務省に入省して農政に携わりました。
その後、母校に戻り助教授として教鞭をとった一方で、
夜間学校の開校や女子教育などの社会活動に広く活躍したのです。

こういった社会活動に関わるなかで
1924年に立憲政友会から衆議院に出馬をして当選し、有馬さんは政治家となりました。
その後の日本は戦争への道を歩み、第二次世界大戦(太平洋戦争)へと日本は向かっていきました。
農林大臣を務めるまでになっていた有馬さんは大政翼賛会の設立に関わるなど、
太平洋戦争の暗い部分は例外なく有馬さんにも影響を及ぼしたのです。

有馬さんは、終戦後、GHQよりA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘置されます。
その後、無罪と認められ釈放されました。
こういった経緯もあって有馬さんは政治家としての引退をしました。

しかし1955年、農林省に招請されて日本中央競馬会第2代理事長に就任することになりました。
この有馬さんの就任が、日本の日本中央競馬にとって一つのターニングポイントとなったのです。

有馬さんは理事長への就任後、
1955年1月に「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」が施行されました。
この法律は「有馬特例法」と呼ばれたことなどからわかるように、
施行できたのには有馬さんの大尽力したことが大きかったのです。

有馬さんは「有馬特例法」の尽力したほかにも、
中山競馬場をはじめとする競馬施設改築、競馬国際協定加入、
競馬実況中継放送の強化など、日本中央競馬の発展や大衆化のために大変な尽力をしました。

そして1956年、ファン投票のシステムを根幹とした「中山グランプリ」の開催がされました。
これには、人気投票で出走馬を選ぶレースでファンに喜んでもらおう、
という有馬さんの競馬ファンへの温かな思いがこめられていたのです。

第1回目の中山グランプリ開催から程なくして、有馬さんは急性肺炎によりこの世を去ってしまいます。
その年の暮れに開催された第2回目からは、
これまでの様々な有馬さんの功績を称え「有馬記念」と改称され、レースが開催されたのです。

日本競馬を愛し、競馬ファンを愛し続けた男の名は、
こうして、日本の競馬ファンが最も愛するレースの名として現在まで残っているのです。
これからは有馬さんへの感謝の念を持ちつつ、年末のグランプリレース「有馬記念」を見たいものです。


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