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自分の好きなこと、特にハロプロ関連の話題とテレビ番組の感想について多く書いています。
強い強すぎる―比嘉大吾が初回KOでV2を達成
2月4日、プロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチが行われ、
王者である比嘉大吾選手が同級9位のモイセス・フエンテス選手を初回KOし防衛を果たしました。


このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。

「◇プロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ12回戦 
王者・比嘉大吾―同級9位モイセス・フエンテス
(2018年2月4日 沖縄県立武道館)

狙って、奪ったKO劇だった。
王者・比嘉大吾(22=白井・具志堅)が、
挑戦者で同級9位のモイセス・フエンテス(30=メキシコ)を1回2分32秒にKOで下し、
2度目の防衛に成功。
積極的に前に出てくる挑戦者はかっこうの獲物だった。

立ち上がりの1回、比嘉は右ボディーストレートであっけなくキャンバスに沈めた。
「高いお金を払って1ラウンドで終わってすみません。
TV局の皆さんもすみませんでした。
倒すと言って臨んだので、やっぱかっこいいですね。
持ってる男ですね」。
激闘の傷跡もなければ、汗もほんのわずか。
15戦連続KO勝利は86年の元WBC世界スーパーライト級王者・浜田剛史(帝拳)、
07年の牛若丸あきべぇ(協栄)の日本最多記録に並ぶ史上3人目の快挙となった。

沖縄での世界戦開催は所属ジムの会長で、
同県石垣島出身の具志堅用高会長(62)が現役時代の81年に
WBA世界ライトフライ級タイトルマッチでペドロ・フローレス(メキシコ)に12回KO負けで、
同王座の14連続防衛に失敗して以来。
同県浦添市出身の愛弟子がその無念を晴らした。
そんな比嘉に具志堅会長は「もう試合が終わった」とおどけ、潤んだ目を隠した。

これでプロデビューから15連続KO勝利。
「KOがなければただの世界王者。
特別な王者になるためにもこれからもKOを続けたい」と比嘉。
22歳のチャンプはまだまだ記録を伸ばし続ける。」


師匠である具志堅さんの果たせなかった地元での勝利を果たし、
見事に師匠の無念を晴らした形となりました。

それにしてもあまりにも強すぎます。

この勢いと強さでどんどん防衛の数を伸ばしていくことは間違いないでしょうね。





信じてひたむきに―元広島・梵英心、オファーを待ち続け練習を継続
自由契約になった元広島カープの梵英心選手が未だオファーを待ち続け練習を続けています。


このことに関する記事が『広島アスリートマガジン』に掲載されていたので以下で紹介します。

「2月1日、プロ野球は春季キャンプがスタートした。
そんな中、昨季オフ出場機会を求めて自由契約の道を選んだ元広島・梵英心内野手(37)は、
1人黙々と練習を継続しながら、オファーを待ち続ける日々を過ごしている。

「今までのオフの中でも一番濃い練習ができています。
休む時間が少ないですし、短時間でできるのはメリット。
他の選手と一緒に練習できる環境がないのは、もちろん不便な部分があります。
でも、サポートしてくれる人が少しでもいれば、全てが整わなくても練習はできます」。

11月中は球団施設である大野練習場で練習をこなしたが、
球団施設を使用できなくなった12月以降は広島市内を拠点にトレーニングを続けた。
例年、年明けは今季から背番号6を受け継ぐ安部友裕らと共に
グアムや沖縄で自主トレを行ってきたが、今回は単独での練習を選んだ。
「誘われましたが、今回は一緒に行こうと思いませんでした。
どうなるか分かりませんし、みんなを振り回す訳にもいかないので」。
後輩たちを気遣い、単独練習の継続を決めた。

寒さが一層厳しくなった1月中旬、1週間ほど沖縄を拠点に練習をこなした。
この時期、暖かい沖縄で自主トレをこなす選手は多い。
それだけに体を追い込むには最適の場所だった。
ノック、ティー打撃、マシンを相手とした打撃、ランニング、ダッシュ、体幹、ウエートトレーニング。
梵は例年にないほど、自らを追い込み続けた。

「沖縄での練習初日、誰もいない真っさらなグラウンドに入った瞬間、
何とも言えない高揚感がありました。
改めて『野球が好きなんだな』と再認識しましたよね。
沖縄に来たことを無駄にしたくないですし、
ましてや一人だから自分にプレッシャーを感じながら練習をやっています。
他に誰か選手がいればどこかで休憩したくなることもあります。
こういう環境で今までやったことがなかったので、
自分のことに集中しないといけないというのは今まで以上にあります。
追い込める環境はできています」。

オファーを待ち沖縄で汗を流す頃、
同じくこのオフ他球団での現役続行を目指していた同学年の松坂大輔が中日入りを決めた。
「『松坂世代』の松坂だから気になります。
高校生の頃から彼はスターで、僕の中でも憧れの選手ですから。
一人のファンとしても頑張ってほしいです。
でも、応援ばかりしている場合ではありません」。
『松坂世代』の一人である梵はプロ入り以来、
松坂をはじめ多くの同学年の選手から刺激を受けて成長を遂げてきた。
その気持ちは今でも変わらない。

2月に入っても、所属先が決まらず苦しい状況が続く。
しかし
「ここ4、5年で状態はMAX。走れるし、投げられるし、守れます。
今テストがあったとしても、いつでも全力でいける」。
自身の体調に一切の不安はなく、気持ちも切れていない。
むしろ、この苦しい状況になったからこそ、気づかされたこともたくさんあった。
かつて新人王、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞を獲得した37歳は
プロ13年目のシーズンを目指し、静かにオファーを待ち続ける。」


今オフは松坂世代にとって岐路となるオフでした。

自由契約となって未だオファーを待ち続ける松坂世代の選手といえば、
村田修一選手が代表格で、正直言って梵選手には注目が集まっていません。

しかし、これまでの実績面から言っても、
今のようなリーグ連覇をするような広島になる前夜を支えた経緯から言っても、
広島ファンだけでなく野球ファンにとって忘れがたい存在であるわけです。

是非とももう一度グラウンドで走り回る梵選手を観たいです。





ケガを乗り越えて―栃ノ心が初優勝
1月27日、大相撲初場所の14日目が行われ、
西前頭3枚目の栃ノ心が松鳳山との一番を制して、千秋楽を待たずに優勝を決めました。


このことに関する記事が『時事通信』に掲載されていたので以下で紹介します。

「◇5年前の悪夢
大相撲初場所(東京・両国国技館)は14日目の27日に、
西前頭3枚目の栃ノ心(30)=ジョージア出身、春日野部屋=が千秋楽を待たずに初優勝を決めた。
世界ジュニア相撲選手権入賞の経歴と見るからに力の強そうな体格。
だが、その素質が開花する過程には、
膝の大けがと師弟の賢明な判断、そして我慢の日々があった。

まわしを引き付ければ相手が身動きできないほどの腕力。
分厚い背中。
この大型化の時代に、吊り出しを見せる数少ない力士でもある。
優勝を決めた一番でも、松鳳山の突っ張りに対して、上体の前傾姿勢がびくともしなかった。

12日目の荒鷲戦もそうだったように、
この日も相手が突き起こそうとしても、あごを引いたまま、相手から目を離さない。
いなされても、土俵際で軽々と残して向き直った。
筋骨隆々の体任せに力んでいるだけではできない芸当。
自信と落ち着きの表れだ。

「最高ですね」「最高の日です」「信じられない」を繰り返す栃ノ心。
師匠やおかみさん、部屋関係者、ジョージアの家族や友人たちへの感謝の言葉を続けた。

小結も経験するなど幕内上位に定着し、これからという2013年名古屋場所、悪夢に襲われた。
右膝を痛めて途中休場。
前十字靭帯断裂と内側側副靭帯損傷の大けがだった。
翌場所から3場所全休。
公傷制度もすでに廃止されており、番付は十両を通り越し西幕下55枚目まで落ちた。

部屋の三保ケ関親方(元幕内栃栄)によると、
焦って出場したがったり絶望してやめたがったりする栃ノ心に、
春日野親方(元関脇栃乃和歌)が「あと10年相撲を取るんだよ」と言って聞かせ、
おかみさんはジョージア料理を食べられるところがないか探したりして励ましたという。

退院後、ちゃんこがおいしくて20キロ以上も増えた体重を、
食事制限で落とす努力もして14年春場所で復帰。
「何回も辞めようかなと気持ちが落ちていた。
退院して稽古場に下りて、気持ちが変わった。
親方もおかみさんも、
『自分で相撲取らないとだめなんだよ』と言ってくれて、うれしかった」と栃ノ心は言う。

◇焦って縮める力士生命
けがをした時の対処は、本人と師匠にとって、
ある意味では相撲を覚えることと同じくらい難しい。
稀勢の里も昨年春場所でけがを押して涙の逆転優勝を果たしたものの、
その後は代償に苦しみ、結果的に出場の判断ミスも続いて風当たりが強くなってきた。

無理をしてけがの功名になる場合もある。
過去の横綱では、北の湖が新関脇の場所中に左足首を骨折しながら休場せず、10勝。
「長い相撲になると足が痛いから」と速く攻め、攻撃相撲に目覚めるきっかけとなった。
大乃国(現芝田山親方)は十両時代、場所前に右足甲を骨折しながら出場して10勝した。
そうした目立つ事例でなくとも、今場所、途中休場して再出場してきた安美錦が
「けがをしているのは俺だけじゃない。
みんな隠して(相撲を)取っている」と言うように、痛みのない力士はいない。

ただ、力士は体が大きく、重心を低くして激しい動きをするので、
膝の大けがは命取りになりやすい。
引退に直結しなくとも、三役やその上を狙える可能性を閉ざされた力士も多い。
その中には、土俵へ上がりたい本能や、
番付が下がることへの焦りから復帰を急いだケースが少なくない。

03年の公傷制度廃止後、代わるものが制定されていないことも背景にある。
相撲人気回復で巡業も増えた。
4月の春巡業には16日間連続の日程が含まれている。

安美錦のように自分で自分の体をよく知るベテランならともかく、
焦って裏目に出たケースは、結果的に師匠の判断も問われる。
無理をして勝った話の方が武勇伝として語り継がれる傾向があるが、
弟子の出場・休場をきっぱり決められない師匠が見受けられる昨今、
栃ノ心のような例も共有すべき成功体験と言えそうだ。」


色々なゴタゴタが続いている相撲界において、
このようにケガを乗り越えて初優勝を飾った力士が現れたことは光明であると言えます。

今回、栃ノ心によって平幕優勝が果たされたことが、
相撲界の人気が大きく下がりかねない現状への歯止めになってくれればいいのですが、
果たしてどうでしょうか。





さようなら怪物―元日本代表の平山相太が現役引退
元サッカー日本代表の平山相太選手が現役引退を発表しました。


このことに関する記事が『ゲキサカ』に掲載されていたので以下で紹介します。

「怪物。
彼ほどこの言葉が似合う選手はいなかった。
誰もが日本サッカー界を引っ張るエースになると信じていた。
FW平山相太が32歳でスパイクを脱ぐことになった。

電撃的な引退発表だった。
昨年12月28日にベガルタ仙台から発表になった契約更新時には、
「悔しさを原動力に、ゴールを決めてチームの勝利に貢献したい」と、
18シーズンへの意気込みを語っていたばかりだった。
「たくさんのご声援、本当にありがとうございました」。
ひとつの怪物伝説が幕を閉じた。

全国に平山相太の名を轟かせたのは、やはり国見高時代だろう。
鮮烈な印象を残しているのは、全国高校選手権での活躍だ。
FW大久保嘉人と入れ替わるようにして入学した国見高のエースは、
もちろん3年連続して全国へとチームを導いた。
2年時と3年時には史上初となる2年連続得点王を獲得。
通算17得点は歴代最多記録。
3年間で2度の優勝と1度の準優勝を経験した。

190cm超の長身を誇る抜群のフィジカル。
正確なトラップから放たれる力強いシュート。
少し前の90年代もFW北嶋秀朗(市立船橋)ら象徴的なストライカーは多数いたが、
爆発的な得点力は、まさに世界を意識させるには十分だった。

活躍は高校サッカーの枠にとどまらない。
昨年のU-20W杯で招集されたFW久保建英の“飛び級”が注目されたが、
平山も高校3年時、2003年のワールドユース(現U-20W杯)に出場。
2ゴールを決める活躍で、日本を8強へと導いた。
筑波大に進学した翌2004年にもアテネ五輪日本代表に飛び級で招集された。

しかしその後は大学を中退。
海外挑戦も2シーズンで帰国し、
FC東京に入団するも2008年の北京五輪のメンバーは落選。
メンタル面の課題が浮き彫りとなり、
それに加えて本人も悔やむ「度重なるけが」が、復活への歯車を噛み合わなくさせた。
ただ2010年1月、ついにやってきたA代表のデビュー戦、
アジア杯最終予選のイエメン戦でハットトリックの活躍。
日本代表史上2人目となるデビュー戦ハットトリックは、怪物が見せた意地だった。

J1通算168試合33得点。
周囲の期待からすれば物足りない数字かもしれない。
しかし怪物が見せた夢は、後世にも語り継がれるものであったことに間違いはない。」


平山選手といえば、
国見高校のエースとして活躍していた姿が今も鮮烈に印象に残っています。

間違いなくそれは「怪物」であり、規格外の存在感を放っていました。

その頃の輝きからすれば、プロになった後の活躍は物足りなさを感じざるを得ませんでした。

しかしそれでも平山選手は、
多くのサッカーファンにとって忘れられない選手であることは間違いないでしょう。





普通の女の子になった「小さな巨人」―有安杏果がももクロ卒業
1月21日、有安杏果がももいろクローバーZを卒業しました。


このことに関する記事が『スポニチアネックス』に掲載されていたので以下で紹介します。

「アイドルグループ「ももいろクローバーZ」が21日、
幕張メッセでライブ「ももいろクローバーZ 2018 OPENING~新しい青空へ~」を開催し、
同公演をもって有安杏果(22)が卒業した。

開演前に
「昔は大きいステージに立たせてもらうたびに泣いていたんですけど、
この8年間で少しは強くなれているかなと自分では思っているので、
なんとか最後まで泣かずに歌い切りたい」と宣言していた通り、涙をこらえていたものの、
メンバーからお別れの言葉を受け涙をみせていた有安だが、
最後は「本当に8年間ありがとうございました。バイバ~イ」と
晴れやかな笑顔でアイドル人生に終止符を打った。

百田夏菜子(23)、玉井詩織(22)、
佐々木彩夏(21)、高城れに(24)によるお別れのメッセージでは、
百田は卒業を伝えられた時のことを回想。
「飲み込めない自分がいて、どうしたらいいのかなっていっぱい考えた。
あまりに(杏果)もまっすぐすぎて伝えることできなかったけど、
本当は10周年は5人で迎えたかった」と
今年8月の結成10周年を新体制で迎えることへの無念さをにじませた。

ライブ会場に2万9765人、
隣接施設でのライブビューイングに7472人、
合計3万7237人が有安の最後の姿を見届けようと集結。
ファンが手に持つサイリウムが、有安のイメージカラーである緑一色に染まる中、
有安は一人でステージの中央に立った。

「本当にありがとう。
この4人にはたくさん色んなこと教えてもらった。
ももクロがこの4人でよかったなぁと思っています。
私も(ももクロの)10周年をここにいて迎えられると思っていた。
でも4人のこれからのためにこうするしかなかった。
ももクロはよく『奇跡の5人』と言われているけど、
実はあんまりそう思ったことなくて、4人とモノノフさんで5人だと思う。
10、20周年もこの先もこの4人のことをよろしくお願いします。
私はこの8年間でいっぱい色んなことをやらせてもらったので、もうやりきった。
みんなに自慢できるくらい幸せになりたい。
突然の発表なのに、わがままを受け入れてくれて、
8年間一緒に歩いてくれた皆がお疲れ様と言ってくれて
本当にありがとうございました」と思いを口にした。

ライブではメジャーデビュー曲「行くぜっ!怪盗少女」をはじめ
「走れ!」「Z伝説~終わりなき革命~」「未来へススメ!」などをパフォーマンス。
「笑顔で終わりたい」という有安も全力の歌とダンスでファンに感謝を伝えた。

また、サプライズで有安に向けた楽曲「新しい青空」を贈る歌として
4人が涙ながらに歌い上げると、有安は「びっくりした。うれしい」と瞳をうるませた。

有安は2009年7月、「ももいろクローバー」に加入。メンバーカラーは緑、
キャッチフレーズは「ちょっぴりおバカな、小さな巨人」で、
アイドル活動と並行させながら日本大学芸術学部写真学科に通い、昨年3月に卒業。
また、同10月には初のソロアルバム「ココロノオト」をリリースし、
日本武道館での単独公演も行った。

有安は「普通の女の子の生活を送りたい」とブロクで表明したように芸能界を引退する。
「ももいろクローバーZ」は百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、高城れにの4人で継続していく。
百田は
「これからわからないこともあるけれど、
楽しみながらみなさんにたくさん笑顔届けられるように頑張っていきたい」と気持ちを新たに。

さらにライブでは歌手の松崎しげる(68)が登場し、
5月23日東京ドームで10周年ライブを行うことが告知された。」


有安杏果はももクロをパフォーマンス面で引っ張っているという印象がありました。

歌もダンスも高いレベルで、ももクロのパフォーマンスの中心であったことは間違いありません。

そんな有安が卒業することはきっとグループにとって大きな痛手でしょう。

しかしももクロは、
早見あかりの卒業を機に新たなグループの形を作り出し、
大ブレークを果たしたグループです。

今回の卒業が機会となり、また新たなグループの形を作り出してくれるのではないでしょうか。

注目です。